心にナイフをしのばせて
奥野 修司
文藝春秋
2006-08

「高一の息子を無惨に殺された母は地獄を生き、同級生の犯人は弁護士として社会復帰していた!」 


事件後少年は、家裁調査官とのやりとりでこう供述している。「事件をプラスに生かして絶望的になるまいと考えた」と。 
殺害を悔いているとか反省とか謝罪の言葉がどこにもなく、自分を励まし、自分を正当化するために法律の勉強を始めていた。 
その後、少年は、少年法に守られているおかげで、刑事処分もなく前科もつかず、人生を一旦リセットし、社会復帰をする。 
月々2万を30年払うという慰謝料の約束は、勝手に2年で止めてしまった。 
進学し結婚しマンションを購入。その間ずっと、遺族への謝罪はなし、墓参りもなし。 

一方、被害者遺族は時間が止まったように苦しみ続けている。 
腹の底から沸き上がる犯人への憎しみに押しつぶされそうになる。精神的な傷が深すぎて素直に怒りを表現できなかったりする。 
なぜか被害者遺族が後ろ指を指されて噂されたり、無神経な言葉に傷ついたりする。世間は被害者遺族の感情にも無知なのだ。 
ふさぎ込み脱毛症になったり病気がちになったり、何かに依存し始めたり自殺未遂をしたり、何十年も事件に縛られずっともがき苦しみ続けている。 
30年、時が経った。 
被害者遺族は家賃滞納で立ち退きを迫られていた。 
そんなタイミングで、少年Aを見つける。なんと少年Aは弁護士として事務所を構えていたのだ! 
一人の命を奪った少年が、国家から無償の教育を受け、少年院を退院したあとも最高学府に入って人もうらやむ弁護士になった。 
一方わが子を奪われた母親は、今や年金でかろうじてその日暮らしをしている。にもかかわらず、弁護士になった少年Aは慰謝料すら払わず平然としているのだ。 

被害者遺族は動揺した。あんな事件を起こしたのだから、当然生活にも困っているだろうと同情すら寄せていたのに、弁護士とわかって裏切られた気分がした。 
慰謝料の話をすると、少年Aは「少しぐらいなら貸すよ、印鑑証明と実印を用意してくれ、50万ぐらいなら準備できる。」と一方的に電話を切ってしまう。 
本来なら慰謝料を払わなければならない立場なのに、なぜ「貸すから印鑑証明と実印を用意しろ?」となるだろう。 
謝罪の意志がないどころか高圧的な態度だ。理解できない。しかし相手は法律のプロだ。被害者遺族は怖くなってしまう。 
被害者遺族が「なぜ謝りに来ないのか、謝ってくれ」と言うと、「なんで俺が謝るんだ」と言って電話を切ってしまう。 
その後も「今さらなんだ」「話が違う」「誰かに入れ知恵されたのか」と暴言を吐き、以後音沙汰なくなってしまう。 

彼にとってはあの事件はすでに過去の出来事なのだ。加害者少年は早い段階で開き直り、謝罪もせず、前向きに人生の再出発に成功しているのだ。 
少年法の趣旨からすれば、彼は間違いなく「更正」したといえる。 
だが一方で、彼によって奈落に突き落とされた家族は、いまだ癒されずに背負い続けている。 
税金は、加害者の人権にきめ細かく配慮しながら、被害者の遺族には何のケアもせず、彼らを癒そうとする手だてすら持たない。 
なんと不公平なのだろう。被害者でなくとも釈然としない。 

少年法を免罪符に、加害者もその親も責任を免れるとしたら、少年法のどこかが間違っているのである。 
「更正」とは、彼ら被害者が少年Aを許す気持ちになったときに言える言葉なのだ。心の底から「ごめんなさい」を言えないのなら、更正したとは言えない。