だめ男別館 日本に迫る危機 工事中

今日本に迫る危機をわかりやすく説明  工事中

カテゴリ: 平和主義者が戦争を招く

確かに差別はよくない。だがその背景を学ばずに安っぽい正義感だけでマスコミのインタビューを受けるのは恥だ。 
戦後、朝鮮人が日本で略奪・強姦をしまくった歴史を学べ。 

今年5月に在日コリアンが通り魔事件をおこした。 
「日本人なら何人も殺そうと思った」と供述している。 
一方、在特会は「朝鮮人を殺せ」とは叫ぶものの、実行はしていない。 

ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」 (宝島社新書) [新書]の中で、 
山本一郎がこんな経験を話している。 
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ルーマニアに行った時に、ブカレスト工科大学の学生と話したのですが、彼らは「どうして日本は差別がないのか」と言うんですね。 
そこで、「差別はあるよ。コリアンが嫌いという人たちがすごく多くて大変なんだよ」という説明をすると、日本への留学経験のある学生が、「でも、普通に商店で韓国人が働いてた。お金を預かってレジをやっているのに、どこが差別なんだ」と反論してくるんです。 
ルーマニアとかでは、たとえばセルビア人が商店のレジを預かっていたら、襲撃までやるのが差別。「それに比べれば日本人というのは本当にいい人たちだ」とその学生は言っていました。
 
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…このように、他の国でいう差別とは殺し合いまでやってしまうことを言う。 

残念ながら差別は人間が人間である限りなくならない。 
だから世界中のどこにも「差別のない国」は存在しない。 
韓国での日本人差別の方がはるかに酷いし「日本人は死ね」という罵倒なんて日常茶飯事だ。 
在日が本国へ帰ると「パンチョッパリ」と言って差別される。北朝鮮だと全財産取り上げられて収容所に入れられる。 
世界標準からすると日本の差別はまだ全然マシなのだ。 

ところが、在特会を非難する人の中には「在日朝鮮人嫌い」そのものを差別だと非難している人がいる。 
なぜなら、在日朝鮮人を嫌いになる正当な理由がない、と考えるからだ。 
しかし差別は感情である。感情には理由がある。 
嫌われる事ばかりをしてる人を嫌うのは、差別ではない。 
なぜ嫌われるようになったかという原因に目を向けて、朝鮮人は反省するべき。 
戦後に「我々朝鮮人は負けた日本の法律に従う必要はない」と言って略奪狼藉を働いた為、日本人から三国人と言って嫌われるようになったんでしょうが。 

在日でそういう自覚をしているのは、鄭大均など極少数派のみ。 
しかし反省と謝罪をしている人はゼロ。 

クリップ田中明 日本人の見た戦後日韓関係 「現代コリア」1992年12月 
「敗戦直後の在日朝鮮人は、敗戦国の無力な警察を嘲笑しつつ、暴力と脱法行為で虚脱状態の日本社会を我がもの顔に横行した。超満員の列車から日本人を引きずりおろして、自分たちが占領するといった光景は、決して珍しいものではなかった。」 

クリップ金 漢一 「朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ」 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334974805/ 
「チョッパリに何をしようが構わないよ」P29(給料袋を丸ごとカツアゲしたシーンにて)
 
寮生の場合、生徒が警察に捕まるたびに親が迎えに行くわけにもいかない。当然、先生が保護者として警察に引き取りに行く。ただ、先生が謝るということはまずない。 ‎‎‎‎‎‎
それどころか、植民地時代の話を持ち出し、強制連行等の理由で日本に渡ってきた境遇を説明して、日本での差別に苦しめられたからこのようなケンカになるのだと堂々と主張するのだ。 警察もさぞ困ったことだろう。
捕まった朝高生も、日本人の徴発に乗ってケンカになったの一点張りだ。先生も歴史的経緯説を譲らないで、結局は日本政府が悪いと主張し、どんどん話を大きくする。先生たちにとっても警察をやり込めるのが楽しみだったのかもしれない。 P36 
先生たちの多くは朝高独特の「規律」の存在には目をつぶり、歴史問題にすり替えていた。窃盗や恐喝と違って、日本人とのケンカというのはほぼ黙認されていたようにも思える。(中略) 
朝高生はタチの悪い日本の学生とケンカするのが自然な姿で、「伝統」を受け継いでいると判断された。むしろ、ケンカで日本人に負けることの方が、朝鮮学校内では「罪が重い」といえた。P70 

ヤキという悪しき伝統の中では僕らも被害者だと言ってくれるOBもいた。「殺すなら日本人にしろ」と発言する人もいた。P73 

クリップ梁 石日「血と骨」 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877282106/ 
「(前略)植民地時代に日本はわれわれに何をしたか。われわれは日本政府に賠償請求できる立場にある。それを考えれば許認可の一つや二つに何の問題があるのか。許可されるまで、われわれは、毎日デモをする。明日は五百人、明後日は千人、そのつぎは一万人のデモを動員する。場合によっては血を見るかもしれない。その責任はすべて市当局にある」P315 
「あんた方はわれわれ朝鮮人から報復されても文句の言えない立場だ(後略)」P276 

クリップ韓 光煕 「わが朝鮮総連の罪と罰」 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167679418 
賛吾は小柄だが敏捷で腕っ節が強かった。気位が高く「日本人から馬鹿にされた」と言っては年中喧嘩ばかりしていた。私にはちっとも気にならないような些細なことが、賛吾にとっては「民族差別」になるようであった。p42 
「朝鮮人だというだけで犯人扱いか!」「民族差別だ!」 
私達は全員で激しく机を叩いて喚き散らした。そこにいた全員が呆気にとられてこちらを見ている。 
これは我々朝鮮総連の悪い癖である。 
日本の当局と交渉するにあたっては、何かにつけて「民族差別」だの「過去の歴史」だのを持ち出してことさら猛々しく振る舞い、理不尽な要求でも呑ませようとする。そうすると、敗戦によって贖罪意識を植え付けられている日本人は決まっておとなしくなってしまうのだ。この方法はたいていうまくいった。p58 


…これらの本に見るように、朝鮮人とは日本人の贖罪意識を利用して理不尽な要求をする、一種のヤクザ団体だったのだ。 
権利を獲得するために「日本の植民地支配」を言い訳に、役所を団体圧力でねじ伏せるなんて当たり前。だから生活保護の受給率も高くなる。 

異国に居候する以上は、分をわきまえ、謙虚な心を持ち、当地の人々と「協調」「融和」して生きていく努力をするのが当たり前なのに。 

「日本人と交際するとヤキいれる」という差別的掟を作り、「日本人みたい」と言われることは侮辱であり否定的判断基準とし、彼らは「殺すなら日本人にしろ」と仲間内で言う。 
それなのに私達日本人の恐怖心を「差別」と言い換え責め立てる。 
「朝鮮人差別はダメだが、日本人差別はokだ。」というのが彼らの言い分だ。 
さらに何かあると「植民地支配のせい」と責任逃れする。 
「植民地支配」や「民族差別」を持ち出されると、贖罪意識が強い日本人は大人しくなってしまう。だから彼らは印籠を突き出してくる。 

だから「これは差別ではない。軽蔑です」という看板の主張は正しい。 
朝鮮人は軽蔑されて当然のことを散々やってきたのだから。 

その2
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33815039.html


大きな問題点はさらにもう一つある。 

元々自衛隊とは警察予備隊として発足したために、そのシステムは警察と同類で軍隊としてのものではない。 
そして自衛隊の制服組は、防衛庁の「内局」と呼ばれる背広組のコントロール下におかれている。
この内局の大半は他省庁から出向してきた官僚で、軍事や安保の知識は皆無である。防衛庁事務次官ポストは最近までずっと、大蔵省(財務省)からの出向官僚が就いていた。 
従って防衛庁に対しては大蔵省の権限が強く、例えば陸上自衛隊の定員は本来は十八万人なのに大蔵省が「予算定員」と称して十五万人分で予算を切ってしまうため、残り三万人を採用できない。 
これは名前が財務省に変わっても全く同じことで、国会が定めた日本の国防力を一省庁が独断で三万人も減らしているわけだ。 
そして詳しくは後述するが、この「内局」と呼ばれる出向官僚の多くが、自虐史観と反国防思想を持つマルキストなのである。 
現在、元防衛庁政務次官の箕輪登という男が極左グループと連携して自衛隊イラク派遣に反対し、「自衛隊派兵違憲訴訟」なるものの原告に名を連ねていることがその一例であろう。 
ともあれ自衛隊の指揮系統からこの「内局」をはずさないかぎり、いざ有事の際に自衛隊がまともに機能しないことは必至である。 
もし北朝鮮と交戦となれば、前述のように日本国内にいる数万人の工作員が破壊テロを決行し、市街戦となることは確実だが、いくらハイテク戦闘機やイージス艦を持っていても、市街戦・ゲリラ戦の訓練をしていなければ、国民の生命は守れない。 
しかも十二万数千名からなる北朝鮮特殊部隊が侵入してきた場合、それを防ぐには最低でも水際に三十~四十万人の軍隊が必要となる。 
韓国では一九九六年に、北の十四名の特殊部隊兵士を掃討するのに軍隊六万人が動員され完全掃討に二ヶ月も要している。 
実数でいえば僅か十四~十五万人という陸上自衛隊の人数は、国を守るにはあまりにも少なすぎるのだ。 
しかし自衛隊を増員しようにも市街地訓練を行おうにも、財務省が勝手に予算を切り、左翼政党や親中朝派政治家が猛反対して大騒ぎしてこれを抑えている。 

これら反自衛隊を唱える勢力がよく口にするのが「日本はスイスを見習って永世中立国になるべき」という毎度の主張だ。 
確かにスイスは第二次大戦でも中立を堅持したが、ヒトラーがスイスに手を出さなかったのにはそれなりの理由がある。 
スイスは六百九十四万人の人口だが、国民皆兵制を敷き、戦争が起こった場合は四十八時間以内に成人男性全員が指定の軍事施設に集合することになっている。 
さらに男性は全員が二十~四十二歳の間に民兵として兵役に就き、計三百日間訓練を受け、各自がそれぞれの家庭に戦闘用の銃器を保管するよう義務づけられてもいる。 
そして、いざ有事ともなれば陸軍五十六万五千人と空軍六万人、合計六十二万五千人を二日間でスイス全土に配備する体制のもとに、北海道の二分の一の国土(約四万一千平方キロ)を防衛しているのだ。 
それに対して日本の北海道には現在、約四万人の自衛官しかいない。 
もし日本が永世中立を掲げてスイス並みの防衛体制を構築するならば、北海道だけでも百二十万人の自衛官が必要となる。 
日本全土となれば、スイス同様に成人男性全員が皆兵となってようやく足りるかといったところである。 
スイスが国是とする「永世中立」とは、これだけの国防意識と国防体制、危機管理能力に基いてのものであり、日本の左翼陣営が主張する「非武装中立」などといった妄想とは根本から違っているのだ。 
国防努力を放棄した危機管理能力ゼロの「中立」が永続する筈もなく、逆に周辺敵性国の攻撃誘因となる 
「中立」を国是とするということは、通常以上の強大な軍事力保持がその絶対条件となるのである。
 

スイスのこのような実状が段々と知られ始めると、今度は朝日新聞は論説で「コスタリカを見習え」と主張し、左翼陣営は『コスタリカ・軍隊を廃止した国』というドキュメンタリーの上映会を各地で展開し、近年は何かにつけて「コスタリカ、コスタリカ」大騒ぎしている。 
しかしこのコスタリカという国は、軍部による内戦やクーデターが頻繁に起こった為に政権転覆を防止するために軍隊を廃止したのであって、地政学的にも周辺国の利害や紛争とは無縁だからそれが可能だったのである。 
世界地図があったら手元に広げてみてほしいのだが、北米と南米の間の陸廊部にある小さな小さな国であるコスタリカの人口は僅か三百七十万人、GNPは日本の四百五十万分の一、コスタリカを仮想敵国視する国も一切存在していない。 
それに対して日本は人口一億三千万人の世界第二位の経済大国であり、中共・北朝鮮・ロシアからは仮想敵国とされていて実際に対日戦の準備は常時スタンバイされており、核ミサイルの照準まで向けられ、地政学上も非常に厄介な位置にある。 
この日本とコスタリカを比較すること自体がメチャクチヤもいいところなのだ。つまり味噌と糞を比べて論じているということだ。 

軍隊を持たない国ということであれば、北極圏下の人口三十万人の島国アイスランドを引き合いに出しても良さそうなものだが、左翼も朝日も決して「アイスランドを見習え」とは言わない。 
それはアイスランドは「北極の小さな島を侵略する国はないだろう」と呑気に構えていたら第二次大戦中に英国に占領されてしまい、その教訓から戦後は米国と防衛協定を結んで国内に米軍基地を設けさせているからである。 
従って反米で米軍基地にも日米安保にも反対している左翼は、アイスランドは見て見ない振りをして「コスタリカ、コスタリカ……」と叫び続けているのである。
 
  
さて現在の日本を取り巻くこの現状は、軍隊をなくすどころか大幅に増員しなければならない必然性を強く示唆している。 
戦後このかた、まさに現在ほど至急に高度国防国家への転換を求められる状況は存在しなかったぐらいだ。 
そしてこれは重要な点なのだが、戦闘訓練を受けていない民間人がある日突然に兵となってもマトモに戦えず、戦死率は圧倒的に高くなる。 
つまり戦争を仕掛けられたときに、多くの民間人が戦死しなくてもよいためには、プロの職業軍人を多く確保しておく以外の方途は一切ない。 
一千万人からの公務員を国民に寄生させておくよりも、それらを大々的にリストラして代わりに自衛隊員を増やすことのほうが余程国民への思いやりというものである。 
約二千三百万人の人口の台湾では、陸軍二十四万人、空軍・海兵隊十三万人強、予備兵力百六十六万人を擁している。 
また人口約四千八百万人の韓国では、陸軍五十六万人、海兵隊二万八千人、空軍他が九万人、予備兵力は四百五十万人を擁している。 
国を守るためには、これだけのプロ軍人は最低でも必要なのだ。 
2300万人の人口で陸軍100万人と予備兵力745万人を擁する異常な北朝鮮はともかくとしても、日本人一億3千万人の生命を守るべき自衛隊が予備兵力5万人を含めて総兵力29万人では、とても足りないどころか存在しないも同然である。 
韓国の人口は日本のおよそ三分の一であることから、日本は最低でも150万人の自衛官が必要であり、四方八方を海に囲まれている地政的に鑑みると本来は200万人(予備兵力を含む)は必要なのだ。 
しかし日本の現状はその七分の一以下である。自衛隊を増員増強するということは、国防をより確実にするのみならず、一般民間人が市街戦に駆り出されて死亡するという悲劇を回避するために不可欠であり、左翼や親中派政治家の言のごとく自衛隊を減らし防衛費を削減するということは、それだけ民間人が多く死ぬということに他ならない。 
平成十六年度末までに日本政府が策定する「防衛計画大網」の骨子が公表されたが、なんと陸上自衛隊の主力装備が3割削減され、「基盤的防衛力」から国連POKなどの「国際平和協力」へ自衛隊の主業務を転換するという主旨が示されている。 
これはとんでもない愚かな話である。 
私は自衛隊の海外派兵自体には大賛成であり、それも出来るだけ国連PKO以外の日本独白の主権的判断での派兵展開を進めることが、「平和真理教」を盲信するカルト国家日本の洗脳を解くカギだと考えている。 
しかし中共・北朝鮮という敵国が日本にミサイルの照準を向け対日戦を想定した軍事演習を繰り返しているのに、「基盤的防衛力」を後回しにして陸自装備を削減するとは、まるで武装強盗団に対して「うちの家の鍵をこじあけやすいものに変えました」と言いに行くようなものである。 
何故こんな馬鹿な案になったかと言うと、現在の自衛隊員数では「基盤的防衛」「国際平和協力」も両方やるのには人員も予算も足りないからだ。 
だから自国の防衛に充てるべき人員を海外派遣に回すしかないのだ。要は自衛隊を大幅増員して予算を拡大すれば解決することなのだが、左派マスコミや公明党の反対を怖れてそれも言い出せない、実に愚かにして臆病だとしか言い様がない。 
中共へのODAだとか男女共同参両予算だとかの死に金を全て廃止して全額国防費に回し、自衛隊を大幅に増員すれば「基盤的防衛」も「国際平和協力」も両方可能なのだ。 
防衛庁の即時の省昇格は言うまでもなく、自衛隊百五十万人体制が私の持論だが、とりあえず五十万人でも構わない。海外における自衛隊の活動が求められる国際情勢に対応しつつも国防力を維持するためには、至急の大幅増員が不可欠である。 
こと国防というものについては、何かを行う代わりに何かが犠牲になるといったことは決してやってはならないのだ。 
国民の生命と財産を護る至高の義務を負う以上、為政者は左翼の妄想的な批判に迎合せずに現実の情勢を、そのリアリズムを国民に説き、正式な国軍化と大幅増員が必要な理由を国民に理解してもらうべく務めなければならない。 
そして万一その言葉を国民の多数が理解できないようならば、そんな国はいずれ滅びるしかないのだ。 
憲法第九条という精神的奴隷法の下に封印された日本人の誇りと勇気を、もう一度この国に取り戻すことこそ、国防再生の第一歩である。
 

前述のスイスでは、全国民に対して「軍人操典」「民間防衛」という二冊のマニュアルが支給されている。二冊ともそれぞれ三百ページを超える大冊であり、軍事知識・戦闘法・国際戦争法規・危機管理方法・国防精神を徹底的に国民に理解させている。 
日本が緊急に求められている国家のあり方と国民の至高の義務、その目指すべき理念がこのマニュアルには存在している。 
その「民間防衛」マニュアルの中の一部を以下に引用したい。 
「我が国の安全保障は、我々軍民の国防努力いかんによって左右される。(小略)我々が個人的に、集団的に、今日決意したことによって明日が左右されるのである。 
親たちが我々のことを心配してくれたように、我々も子供たちのことを考えよう。 
自由と独立は、我々の財産のなかで最も尊いものである。自由と独立は、断じて与えられるものではない。自由と独立は、断えず守らねばならない権利であり、言葉や抗議だけでは決して守り得ないものである。手に武器を持って要求して、初めて得られるものである」
スイス政府発行「民間防衛」)。 

かつて日本敗戦の二年前、昭和十八年十月二十一目の雨に煙る明治神宮外苑、学生服に制帽をかぶり小銃を肩にかけた七万人の学生たちが「守るんだ、俺たちがこの国を守るんだ」と心で叫びつつ、死を決意した壮厳にして悲壮なる行進を続けた。 
かの学徒出陣壮行である。そして敗戦の日までに総数三十万人の学生たちが戦地へ赴き、この国の誇りと「未来」を守らんが為にその多くが戦場の露と消えていった。そこには次代の日本人が決して忘れてはならない美しい至純の心があった。 
あれから六十年、平成の街に溢れる若者たちの多くは、自分だちと同年代の男たちが心で敗戦を知りつつも祖国のために死地へと出陣したことを知りもせず、また教育もそれを教えてはいない。 
妄想平和主義と自虐史観によって断ち切られた「戦前戦中の若者」と「戦後の若者」の精神、この不幸なる歴史の断絶が「侵略されたら降伏する」という八十五%の青少年たちを生み出した。 
成人の十倍の比率で犯罪に明け暮れる少年たち、そして五割が売春を肯定する少女たち。 
首相の靖國参拝に違憲判決を下し、自衛隊員を「人殺し」呼ばわりする国。 
自国を「侵略国」と呼んで中共に卑屈に媚び、国防を年間五千億円の金でアメリカから買う国。 
あの学徒出陣した若者たちの「俺たちは日本をこんな国にするために死んだんじゃない、誇り高き日本を次代へ遺すために俺たちは生命を捧げたんだ」という悲痛な叫びが、私の耳にはいつも暗紅響いている。 
その声はあまりにも切なく、そして哀しい。 
「身をすてて いさををたてし 人の名は くにのほまれと ともにのこさむ」。 
この明治天皇の御製の精神を、日本人が機れた自虐史観によって今後も封印し続けるならば、この国を待ち受ける未来は中共の一自治区となるかアメリカの一州となるか、そのいずれかしかない。 
日本における国防精神の原点は全て靖國神社に帰結する。取り戻すべき大切なものはそこにある。 

以上の1~3はhttp://ochimusya.at.webry.info/201108/article_1.htmlより転載しました。

2004年の記事です。 

その一
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33815020.html


旧ソ連や中共の意を受けた左翼勢力は
「日米安保反対」「護憲」「反核」「米軍基地反対」というプロパガンダを続け、 
教育界では日教組と全数が、マスコミでは新聞労連や民放労連が、日本を歪んだ妄想平和主義の国に改造してきた。そしてそのプロパガンダの中には自衛隊への差別奨励も含まれてきた。 

かつて社会党は「自衛隊にはお嫁にやりません」という完全な職業差別の選挙ポスターを全国に貼ったことがある。 
もし仮に自民党とかが「共産党員・社会党員にはお嫁にやりません」「創価学会員にはお嫁にやりません」というポスターを貼ったりしたら大騒ぎの大問題になったことであろう。なぜ自衛隊ならそれが許されるのか。 
TBSで放送されていた人気番組『三年B組金八先生』では、自衛隊に就職を志願した生徒を金八先生が「人殺しになるな」と説得して断念させるというエピソードがあった。 
日教組の教師たちは自衛隊員の子供を立たせて級友の前で「○○君のお父さんは人殺しです」と言い放ち、また「自衛隊員入店お断り」と貼り紙した自称「反戦平和店」なる飲食店が話題になったこともあった。 
自衛隊の通信線を切断した極左の「反戦活動家」二名は無罪(昭和三十七年札幌地裁)となり、ペルシヤ湾で命を賭けて機雷除去の掃海任務を果たして帰国した五百人の自衛隊員には総額十万円[一人あたり二百円]の報賞金しか出さず、 
あげくには自衛隊の一日あたりの食費額は刑務所よりも二百円安いのである。 
自国の軍人の食事を犯罪者以下の待遇にしている国なんて、日本以外にはただの一国も存在しない。 
このように自国の軍人をとことんまで侮辱し蔑み続けた、世界唯一の歪んだ国がこの戦後日本である。 

ここに平成十年八月に広島の教材出版社が全国の公私立高校三年生(一千四百五人)に対して行ったアンケート結果がある。 
「日本の平和にもっとも貢献している制度は」という設問に対し、一位は「平和憲法」四十四・五%、二位は「非核三原則」三十四・六%、そして「日米安保」と回答したのは僅か一・四%であった。 
また「日本の平和を支えている組織(又は団体・機能)は」という設問に対しては、一位が「市民運動」二十五・二%、二位が「国連」二十四・四%、三位が「警察」十・五%で、「自衛隊」と回答したのは九・五%にすぎなかった。 
現在の日本の若者はここまで完全に洗脳され狂ってしまっているのだ。 
日教組や全数の教師が行っている授業実態は一般人はおそらく想像もつかないほど偏向しており、その結果として「平和憲法」「非核三原則」「市民運動」「国連」といった糞の役にも立だないシロモノが「日本の平和を守っている」と思いこんでいる若者が多数を占めている。 

平成十三年二月二十二目の読売新聞の青少年アンケートでは「外国から侵略されたらどうするか」という設問に対して、一位の「無抵抗」が五十六%、二位の「武器以外の方法(話し合いなど)」が二十九%、つまり侵略攻撃に一切抵抗しないか話し合いをするという事実上の「降伏」を選んだ者が合計八十五%に達し、一方「武器を取って抵抗する」は僅か十三%であった。青少年の八十五%が侵略攻撃への抗戦を否定する国など、世界中どこを探しても日本以外には一国もない。 
つまり日本は「世界で一番侵略しやすい国」なのだ。左翼の教師組合や左派マスコミが育てあげた若者たちとは、世界一臆病で卑しい敗北主義者たちだったのである。 

そしてこの世代の人間が政治家になっても、同じ感覚のままでいることこそ実に危険きわまりないことなのだ。 
例えば、船田元氏の不倫騒動に便乗して当選した民主党の水島広子という若い新人代議士がいた。 
水島はイラク人質事件に際して、人質家族の反政府アジテーションに対する国民からの抗議について「この国はここまで来てしまったのか。それほど社会は病んでいるのですね」と宣った大甘のお嬢ちゃんだが、国防に関してもとても国会議員とは思えない白痴的な妄想を公言しているので、妄想平和主義者の典型例として紹介しよう。 
平成十二年八月二十日の『サンデープロジェクト』に出演して「外国が攻めてきたら?」と問われた水島は、なんと「とりあえずその場はしょうがない」と答えている。 
日本以外のどの国にあっても、国会議員がこんな発言をしたら国民から大々的な非難がおこり即時失脚である。 
水島はその後もHPや雑誌で自身の見解を次のように述べている。「(外国の攻撃を受けた場合)この国際世論がその、昔とは全然違いますから、そんな非常な、非常状態がいつまでも放置されるかっていう、私はその辺ちょっと、人間っていうものを、信頼したい」「(世界から軍隊をなくすために)私は経過指置として国連軍を作り、世界中の軍備を国連軍にシフトさせ、各国固有の軍はなくしていくべきだという考えです。国連軍には当然、日本も参加するのですが、その時は無国籍であり、憲法九条を改正する必要はありません」。 
現役の国会議員が外国からの攻撃に対する対処を聞かれて、「とりあえずその場は仕方ないが、そのうちに国際世論が何とかしてくれるだろう。人間っていうものを信じたいという幼稚園児のような回答をしているのだ。 
そもそも世界各国のどの国が固有軍をなくしてくれると思っているのか。
 
幻想というか妄想もここに極まれりといった感がある。 

平成十五年七月、新潟県加茂市の小池清彦市長がイラク特措法廃案を求めて全国会議員に発送した要望書には、「(自衛隊に)犠牲者が出た場合、自衛隊は職場としての魅力を失って隊員が集まらなくなり、そうなると徴兵制が復活してファシズムが台頭する危険性があると記されている。 
この男は正気だろうか。加茂市民には悪いが、こんな男に市長が務まるのならば、犬に市長を任せたほうがよい。そのほうが狂った妄言を宣うよりもワンワンとしか言わない分だけ罪がない。 
徴兵制の国がファシズムならば、世界中の大半の国がファシズム国家だということになる。 
この男はファシズムの意味を分かっているのか。それともカタカナ言葉を使って知的なフリをしてみたかっただけか。 
ところが同年七月二十五日にTBS『ニュース23』はこの要望書を大々的に取り上げて、「一旦転がり始めたものが向かっていく先の怖さってものが、何となく、こう見えてくる気もするんですね」とコメントした。 
コミュニストにとっでは、中朝の軍拡は怖くないが日本の自衛隊はやたらと怖いのだろう。勝手に怖がっていればよい。 

ところで、その左翼に怖がられている自衛隊の現在の総合戦力、つまり物的プラス人的戦力は正直なところ、世界で第三十位前後だといわれている。 
これは兵器や兵員だけではなく、指揮の系統や機能、経済力や軍事転化可能な工業力、兵器開発力、予備兵力の動員可能数、戦時に対する法制や国民意識、国内の利敵(反戦)勢力の規模、その他、いざ戦争となった時の国家の潜在力全てを勘案してのランキングである。 
つまり自衛隊そのものの戦闘技術や士気はハイレペルなのだが、政治・法制や国民意識や機能面において大いに足をひっぱられ、そのために三十位前後に位置づけられているのだ。 
それ故に自衛隊が戦って勝てるのは、東南アジア、アフリカ、ラテンアメリカなど権力者の政争が絶えない国々の私兵的軍隊を相手にした場合だけだともいわれている。 
これは自衛隊が迎撃力中心の軍隊であり、攻撃力を政治的に取り上げられていることも主因の一つだが、それ以外にも諸々の諸因がある。それらの諸因となっている自衛隊の実状を少し説明しておこう。 
まず自衛隊が所有している実弾は、約三日間の戦闘分しかない。 
しかも一ヵ所にまとめて管理されているため、もし駐屯地の真ん中を敵の戦闘機が攻撃して弾薬備蓄所を爆撃されたらオシマイである。 
備蓄の少ない実弾が貴重であるため、自衛隊では実弾演習をほとんど行っていない。銃を手に持って口で「バーン、バーン」と叫ぶ演習だけだ。 
迫撃砲なども演習場がないために模擬弾を使い、段ボールでつくったハリボテを敵戦車に見立てて演習している。 
さらに自衛隊は他国の軍に比べてハイテク化が進んでいるようなイメージを持たれているが、それは例えばイージス艦などごく一部であり、自衛隊の車両にはGPSもコンピュータもデジタルマップも搭載されておらず、各車両と司令部をつなぐデータリンクシステムもない。 
これらは全て防衛予算が少なすぎることに由来する。 
しかも政府はMD導入予算も別扱いにはせずに、現行の防衛予算の中に収めようとしている。 
そのため、陸自予算から戦車・火砲、海自予算から護衛艦・哨戒機、空白予算から作戦用航空機が削減された。 
従って今後さらに自衛隊は兵器不足に困ることになる。 
さらに馬鹿みたいに「専守防衛」にこだわり続けたせいで日本国上上での戦闘しか想定していないため、自衛隊の機関銃は五・五六ミリであり、例えばイラクや北朝鮮の使用する七・六二ミリ機関銃と撃ち合いになれば、自衛隊の弾の威力(貫通力)は七・六二ミリ機関銃の二分の一しかなく、接近銃撃戦では勝ちようがない。 
これは映画『宣戦布告』でも描かれていたが、妄想平和主義に固執した政治が自衛隊員の生命を不要に危険にさらしている。 
これが日本国民の大切な「財産」である自衛隊の実状なのだ。 
本来軍隊とはいざ防衛戦となれば全ての法を超越するのが世界中の常識である。
 
しかしこれまで自衛隊は世界で唯一、国内法の制限下に置かれている異常な状態にあった。 
例えば北朝鮮軍が海岸から上陸してきたと仮定する。 
それを迎え撃つために自衛隊が軍用車や装甲車で市街を移動するには、地方の公安委員会に特別許可を申請しなければならない。公安委員が集まった会議で許可が下りて始めて移動開始となる。 
しかし移動の際に制限速度をオーバーすると道文法違反となり、交通警官から「そこの自衛隊車両、停車して免許証を出しなさい」と言われ、運転していた自衛隊員は交通違反キップを切られる。 
ようやく目的地に到着してプレハブの司令部を設営しようとすると、先にその土地の所有者を探し出し、運良く所有者が左翼や在日北朝鮮人ではなくて賃貸契約を結んでもらえれば、次に建築基準法に基いての許可申請を役所に出しに行き許可を待たねばならない。 
そんなことをしている内に当然ながら民間人も含めて大量の死亡者や負傷者が続出するが、野営病院を設営しようとしても医師法だの何だのと山はどの許可を申請しなければならないのだ。 
そして民家に逃げこんだ北朝鮮兵を追って自衛隊員がその家に入ると住居不法侵入罪、さらにその家の主が在日北朝鮮人か共産主義者で「自衛隊は出ていけ」と言われて従わずにいれば不退去罪、思い余った自衛隊員がその家の主を取りおさえると監禁罪、取りおさえる時に殴ってしまえば傷害罪、もうキリがなく余りに馬鹿馬鹿しいのでこれ位にしておくが、この様な状態に自衛隊が長年置かれ続けてきた現実を国民の多くは理解しているのだろうか。
 

よく左翼軍営は「自衛隊は世界第二位の軍隊」だと主張して、それを防衛力削減を訴える口実に用いる。 
世界第二位だという根拠は、日本の防衛費が世界第二位の金額だということに由来しているが、ここに左翼のレトリックが隠されている。 
現在自衛隊の兵器や装備を製造している国内メーカーは、政府の愚かな妄想平和主義政策のせいで海外へ輸出を禁じられている。 
いわゆる武器輸出三原則は、共産圏、国連が禁止した国、国際紛争当事国に対して武器輸出を認めないとする自主規制政策だが、それに加えて何を血迷ったのか三木内閣がこれらの国々以外の諸外国へも武器輸出を「慎む」と決定したのである。 
そのため中共にはODAの名目で軍用輸送可能道路や戦闘機発着陸可能飛行場をつくってやったり、北朝鮮には核兵器製造に転用可能な精密機器が送られるその一方で、海外の日本人には防弾チョッキ(通産省はこれを武器と認定!)さえも送れないという状況にあるのだ。 
こうして海外に輸出できない以上、日本の兵器メーカーは量産することができず、従ってどうしてもコストが高くなってしまう。 
例えば諸外国では、小銃の平均調達価格は日本円で一丁あたり四~六万円だが、自衛隊の小銃である八九式の調達価格は一丁あたり三十五万円もかかっている。 
対戦車ヘリコプターは、アメリカでは一機六~七億円で調達しているが、自衛隊では同クラス機が一機四十九億円なのだ。 
他の兵器も勿論のこと、弾薬から装備も全て世界一の高コストで、さらに徴兵制ではないために人件費も非常に高い。 
つまり実質攻撃能力は世界第三十位前後だといわれるのに、費用だけは世界第二位ということなのだ。 
一体これのどこが「世界第二位の軍隊」ということになるのであろうか。
 
この高コストを解決するには、日本の兵器メーカーの海外輸出を自由化するしか方法はない。ようやく石破防衛庁長官が武器輸出三原則の見直しを口にしたが、海外輸出を禁止している国なんて日本ぐらいしかなく、これは平和主義というよりも偏執狂的、病的だとしか言い様がない。 

そして何とも信じ難い異常なことではあるが、自衛隊の駐屯地を警備する自衛隊員は実弾を持たせられていない。 
つまり猟銃か何かを待った暴徒が乱入すると、黙って入れるか、 
死を覚悟して素手で取りおさえるしかないのである。 
さらに防衛庁の警備も民間警備会社が行ってきたのであるが、これもまた機関銃を待った数人程度が乱入すれば日本の防衛中枢が占拠されるということである。 
なお世界各国にある日本の大使館や領事館などの在外公館についても、自衛隊はその警備を任されていない。 
米大使館の警備は米海兵隊が担当しているように、世界中どの国も自国の軍で在外公館を警備しているのに、日本だけは現地国の警備会社に依頼してガードマンを雇うという、常識ではとても信じられないことを行ってきたのである。 
現在イラクにおける大使館のガードマン費用だけでも外務省はすでに一億円近くを費やしているが、要するに自衛隊をわざと排除して金で安全を買っているわけだ。
 
イラクで殺害された奥克彦参事官が外務省のHPで連載した『イラク便り』には「日本の場合、自国の兵士や警備を行いませんので(ちなみに、これは主要国では稀なケースです)、警備対策が最大の問題です」という一節があった。 
奥氏はその立場上ソフトな表現をしておられるが、要するに日本は主要国では稀な「異常」な国なのだ。 
日本はそろそろ普通の国の「常識」を身につけないと、これから世界各国の日本大使館はテロの好餌となる。 

ところが9・11テロの直後に、皇居や原発、米軍基地などを自衛隊が警備するという案が出されたとき、国民に銃を向けるのか。警察に警備させろ」と主張した自民党の親中朝派の大物議員がいた。 
自衛隊が銃を向けるのは、アルカーイダの対日テロ要員か北朝鮮テロエ作員に対してであり、それらのテロから国民を守るための自衛隊なのに、一体何をとち狂っているのであろうか。 

その3

私は現在の日本を覆っている非現実的な一国平和主義国防アレルギー、そしてその根本にある「日本は侵略的な悪い国」とする自国性悪説・自虐史観も含有して「妄想平和主義」と呼んでいる。 

逆に現実的平和主義とは、「戦わないことが平和」ではなく「戦って勝ち取る平和」もあれば、強大な軍事力を保持することが戦争(他国からの攻撃)を抑止し回避することになると考える立場のことだ。 
私のような現実的平和主義者が「戦争がなくなることはありえない」というリアリズムを前提として防衛問題を考えるのに対して、 
妄想平和主義者は「日本が憲法九条を護って他国への攻撃力(打撃的防衛力)を持たなければ戦争にまきこまれない」というファンタジーの世界で生きている。 
つまり彼らは最初から戦争という選択技を一切放棄しているのだが、これは平和主義ではなく単なる敗北主義であり、「戦わずして負ける」という亡国的思想である。 
いざという時にも戦うことのできない国、戦う選択肢を自ら放棄した国は、いつの日か必ず敵国兵の軍靴に踏みにじられて隷属国となり果て、やがては世界地図からその国名が消える定めにある。 

かのヘーゲルは「海の流れが海洋の新鮮さを保つが如く、戦争は国民の倫理的健康の凝固を防ぐ。永遠の平和は堕落するのみであって戦争は人道に適う」と説き、モンテスキューやトーマス・ホッブスらも同様の見解を唱えている。 
これは現在の心底平和ボケした日本人からすれば極端な考え方に感じるかもしれないが、実はこれこそが人類史上戦争が絶えたことのない根源的な原因の一つ、すなわち「自浄作用としての戦争」という真理の一面を喝破したものであり、欧米の法哲学にはこの「戦争は必要悪である」とする考え方が根強く存在する。 
欧米ではこのように割とはっきりした戦争観を持つ人々が多いのだが、日本では「戦争」と聞くだけで思考停止してしまい、さらに軍隊・軍人・軍歌といった「軍」と名の付くものは全て悪だと拒否反応を示す人間が多い。 
しかし「軍隊の何か悪なのか」と問いかけると、それに答えられる人間はほとんど存在せず、何か悪なのか分からないが、「何となく悪のイメージ」という先人固定観念ばかりなのである。 
こんな非現実的な発想が妄想平和主義の主流を占めている。 

日本人がよく見落としてしまいがちなポイントとして、世界情勢は全て何らかの形で連鎖しており、一国だけがそれとは無縁でいることはできないという現実がある。 
S・ハンチントンは『腰の引けた大国日本の選択』という論文で、「日本は軍事力のてこ入れが必要だ。今日の日本はもはや孤高の島国ではいられない。日本は国際政治の舞台に参加する中でもっと先を見越した行動を取るようになるべきだ。そのためには日本人はもっと外向きにならなければならない。それはグローバルーコミュニティ(国際社会)のどこかで起こることが日本の社会に影響を与え、ひいては日本人個人の生命を左右するという現実を受け入れる必要があるということだ」と述べている。 
つまり世界に存在する国が仮に日本一国だけならばいざ知らず、現実の国際社会の中では一国平和主義はファンタジーでしかないのである。 
その「外からの影響」に対して日本国の主権と国民の生命を守るもの、それは最終的には軍事力以外には一切存在しない。 
そして軍事力とは「外」へ対してのものであることから、攻撃力を併せ持つものでなければ全く無意味である。攻撃力がなく迎撃力だけということは、日本は防戦は仮にできたとしても敵国を降伏させる能力がないということである。 
例えば北朝鮮が日本を攻撃してきた時、日本は受身の防戦を続けるのみで金正日政権を打倒することができず、それ故にその戦争はいつまでも決着がつかない。 
この明らかなる現実を理解できない妄想平和主義者は、ヘーゲルの言うところの「平和にボケて堕落した人間」に他ならない。
 

妄想平和主義マスコミの代表格である朝日新聞は、平成十六年元旦の社説で「軍隊を欲する愚を思う」という見出しで「戦後六十年近く、日本が一切の戦争に加わらずにすんだのは、やはり憲法にお陰が大きかろう」「(自衛隊が)普通の軍隊でないことに誇りを持つのがいい」と述べ、また妄想平和主義の洗脳機関たる日教組御用達の中学公民教科書では「日本は、日本国憲法で平和主義をとっていたため、戦争にまきこまれることなく、安全で繁栄した日々をおくることができたのです」(帝国書院)と教えている。 

交戦権放棄の憲法があるから平和が維持されたという幻想、もっとハッキリ言えば幻想というよりも「嘘」をマスコミが報じ教師が教える、このプロパガンダによって、例えば「もし金正日に、日本は平和憲法を持っているので攻撃しないでくれと言ったら通用するのか否か」といった常識的な試考は国民から失われたのである。 

公明党の高木陽介代議士が「国軍というと、どうしても国家主義・右傾化というイメージがある」という幼児的発言をしているが、それならば日本を除く世界中の国は全て右傾化した国家主義だというのであろうか。 

イラクで自衛隊が行う任務は実質的に何も変わらないのに、多国籍軍という名称になっただけで不支持の比率が増えたのも、「軍」という言葉に対して国民の妄想平和主義が感情的拒否反応を起こしたからだ。 
妄想平和主義とは、世界中のどこにも通用しない日本一国の中だけの特異な平和主義、非現実的な敗北主義、すなわち単なる妄想でしかないのだ。 
この妄想平和主義が広く蔓延してしまったせいで、日本では軍事や防衛を考えたり研究すること自体が「軍国主義的」とされ、他国からの攻撃を想定する言論自体が「右翼的」と言われて封殺されてきた。
 

例えば現在日本には、防衛大学を除けば軍事学を教える大学は一切存在していないが、そんな国は世界でも日本だけである。 
アメリカではどの大学にもROTC(予備役将校訓練コース)という講座があり、この講座を履修すれば国防総省から無償奨学金がもらえる仕組みになっている。 
しかし日本では軍事の知識を得ようとするならば、独学で専門書を研究するしかなく、多くの一般人はそんな面倒なことをしないため、結局は妄想平和主義の左派マスコミの唱えるファンタジーをそのまま受け売りすることになるのだ。 
テレビ番組なんかで戦争や軍事をしたり顔でコメントしている人々の多くは、例えるならば野球のルールも知らない人が野球解説をしているようなものであり、タレントだの駅弁大学教授だのが幼稚なコメントを並べたてる姿には失笑を禁じ得ない。 
戦争を論ずるには、そして平和を維持するためには、まず軍事を、そして戦争のメカニズムすなわち国際力学や地政学を知らなければ話にならないのだが、日本では「戦争は悪」「日本は侵略国」と唱えていれば平和主義だというのであるから、もはや思考停止の痴呆国家の様相である。 

また中帰連や左寄りの戦中派などが「戦争の悲惨さは体験しないと分からないのだ」などと討論番組等で感情論を並べたりもしているが、しかし体験しているということが即ち戦争の本質やメカニズムを理解しているということではない。 
例えば地震の被害を受けた人々がすべて、プレート移動や耐震構造の知識を持っているわけではないことと同じである。 
単なる地震体験者よりも地震学者のほうが正確に地震を捉えているのは当然であり、同様に平和主義を堅持するというならば、先ず戦争と軍事についての知識を国民に対して与える場を設けることが先決であろう。 

政府は全ての国公立大学に軍事学講座を設けさせ、防衛大学や自衛隊から教授を迎えることを即時実行するべきであり、それが日本が現実的平和主義へと目を覚ます一助になることを私は強調したい。 
戦争に無知な平和主義者が戦争を招くというのはリアリストの常識だが、日本の軍事アレルギーが世界にまで惨害を与えた一例として、ボスニア紛争における国連軍の最高責任者に就任した明石康氏のケースが挙げられる。 
明石氏はその言動からして妄想平和主義自虐史観の信奉者であることは明らかであるが、セルビア軍がイスラム系住民を虐殺しようとしている時に、国連の指揮下に入ったNATO軍がセルビア軍空爆をいくら要請しても、明石氏は「平和的に」などと言って空爆をほとんど許可しようとしなかった。 
そうこうしている内、かの悪名高き「民族浄化」によって多数のイスラム系住民が虐殺されることになったのである。 
ブッシュ政権で国連人権委員会の米国首席代表を務めるJ・カークパトリックは「明石は軍事に関しては全く未経験かつ無能力だった。明石という人物は国連の歴史にも特筆される大災禍だった」と述べているが、「軍事行動(武力行使)イコール悪」という日本の妄想平和主義の空気の中で生きてきた明石氏は、武力行使によって維持される平和、武力行使によって守られる人道があることが理解できなかったのであろう。 

日本の平和が自衛隊や日米安保ではなく憲法によって保たれてきたとするファンタジーの裏側で、歴代政権与党が国防(攻撃力)をアメリカに頼ってきたその代償は、年間五千億円からの在日米軍駐留費用負担であり、これは世界一の高額負担でもある。 
在日米軍は約四万人だが、一方ほぼ同数の三万八千人の米軍が駐留する韓国では年間八百九十六億円(日本の六分の一)しか負担していない。 
つまり日本では米兵一人あたり年間一千万円もの金を税金で負担してきたのだ。 
さらに「思いやり予算」の使途なんて米軍基地内のゴルフ場やボーリング場、ディスコやエアロビクス施設など、実にくだらないものに費やされており、米軍将校の住宅建設には一戸あたり一億円か提供されている。 
米兵の使用する電気・ガス・水道・電話代、あげくには将校宅のメイドの人件費まで一切合切が「思いやり予算」からの支出である。 
日本人で一億円の住宅に住んでメイドを雇っている人なんて、どれだけの人数存在するだろうか。私はこの「金で安全保障を買う」という現状を国辱に感じる。 
この責任の全ては、妄想平和主義の左翼のプロパガンダに迎合し、中共に媚び、自国の防衛力増強をタブーにしてきた歴代政権の臆病さに由来する。 

さて、ご存知のようにイラク派遣によって、戦後初めて自衛隊が国連PKOのその枠を超えて海外の地を踏んだ。 
湾岸戦争のように「金だけ出す」といった対応にならなかったのはせめてもの救いだが、この派遣の根拠となる平成十五年七月に成立したイラク特措法は世界の常識から遠くかけ離れた狂った法である。 
一言でいうと「戦闘地域ではない場所に自衛隊を派遣する」という内容だ。 
自衛隊先遣隊がオランダ軍の護衛付きでサマワに到着する姿も情けない光景であったが、むしろ私はこのイラク特措法を目にした時に、もう日本人であることが嫌になるぐらい情けない思いにかられた。 
同法では自衛隊は正当防衛でないと武器使用ができず、もし仮に目の前で米軍や他国軍がイラク兵に攻撃されていても一切支援できない。 
もしそうなると、その場所は「戦闘地域」になってしまうため、自衛隊は速やかに退却し移動しなければならないのだ。 
およそ世界の全ての軍事関連法の中でも、これほど蔑まれる恥かしい法は他にはない。攻撃を受けた途端に逃げ出していく自衛隊の姿を米軍や他国軍が見た瞬間に、「日本はどこまで卑怯で臆病な国なのか」という二度と剥がせないレッテルを貼られることであろう。 

防衛庁陸上幕僚監部がイラク派遣部隊に発した命令書には「実弾をこめる時期は別示する」とある。 
つまりイラク駐留の自衛隊は、武器弾薬庫の警備兵などのごく一部を除いて、銃に実弾をこめてはいけないということだ。 
兵士が空砲の銃を持だされるなんて、こんな馬鹿なことをしている国が他にあるのだろうか。 
これでは福島瑞穂の「警官は丸腰で犯人逮捕せよ」という主張と大差ない発想でしかない。 
さらに攻撃を受けた場合については、例えば不審車両が自衛隊の駐屯地に接近してきたら、自衛隊はまず口頭で「停止せよ」と求め、それでも返づいてきた場合は空砲の銃で空へ向けて警告射撃をすることになっている。 
そしてそれでも車が近づいてきたら自衛隊員は無線機で直属上官たる班長に「実弾をこめて良いですか」と連絡し、班長は小隊長に、小隊長は中隊長に、中隊長は派遣隊長にそれぞれ連絡を取って伝達し、「実弾をこめて良し」の決定が出たら再び逆の順番で伝達されて現場の隊員は実弾をこめられるというわけだ。 
そして車が「停止線」を越えたら初めて車体に実弾発砲して良く、それでも停まらない場合のみ運転者に向けて発砲して良しという内容である。 
こんな馬鹿げたことをしている間に爆弾を積んだテロリストの車は駐屯地に突っ込んで爆発しているだろう。 
そもそも警察しゃあるまいし警告射撃をするような軍隊が三千世界の何処にあるというのか。 
軍隊であれば不審車両が「停止せよ」の警告に応じなかった段階で一斉射撃するのが当然だ。ここまで日本の軍事感覚は歪みきっているのだ。 

妄想平和主義の政治家がつくった歪んだ法は数多くあるが、さんざん大騒ぎしてようやく成立した有事法制も同様である。 
この有事法制の内容は欠陥だらけの不完全なものであり、まさに平和ボケを象徴する内容に他ならない。 
北朝鮮のミサイルは発射から約七分で着弾するというのに、首相はまず安全保障会議に諮問し、同会議内の委員会による調査報告の答申を受け、そして閣議を招集して閣議決定し、国会の承認を受けて始めて防衛活動を命令できるというのだ。 
つまり最初のミサイルが落ちるのは防ぎようがないという内容だ。北朝鮮のシルクワーム発射の時にも情報が錯綜し自前の情報収集能力がほとんどない日本の現実を露呈したが、すなわち「北が日本本土ヘミサイル発射」という報告が首相の耳に入る頃にはすでにミサイルは着弾するのだ。 
加えて、もし閣議中に首相以下閣僚がミサイルで全員死亡した場合は、一体どうするのかという規定も設けられていない。 
しかも防衛庁は内閣府の外局であり国防省への昇格を行っていないため、防衛庁長官の閣議招集権もない。(注:2007年1月9日に省に移行しました)他にも抜けている点は数かぎりなく有り、まさに欠陥法の見本市のようなものだ。 

さらに旧社会党を多く抱え込む民主党に至っては有事法制に「基本的人権の自由を保証せよ」だとか並べたて、つまり朝鮮総聯や親北共産勢力が北朝鮮に呼応する動きを行っても「思想信条の自由」として放置しなければならないという意味の主張を声高に叫んだ。 
もし国内で自衛隊が北朝鮮軍と交戦中に、これら左翼勢力が「人間の盾」を称して丸腰で自衛隊の前に立ちふさがったら、一体どうするというのか。 
諸外国ならばこれら通敵者を問答無用で撃つが、おそらく平和ボケ日本では自衛隊はこの「人間の盾」を撃てずに立ち往生するであろう。 
民主党の要求は、要するにこういう「左翼や在日北朝鮮人が人間の盾になる権利も保証せよ」という、まさに妄想平和主義の象徴のような主張であった。 

また民主党や社民党は有事下のマスコミ報道管制にも反対して大騒ぎしていたが、後述するスイスの「民間防衛」マニュアルでは戦時下の規定として「新聞、出版物、ラジオ、テレビは心理戦争では決定的な役割を果たす。敵を擁護する新聞は相手にしてはならない。混乱と敗北主義の挑発者どもは逮捕すべきであり、敵側の宣伝に身を売った新聞は発行を差し止めるべきだ。侵略者に有利になることを行った者は、その程度の如何を問わず裏切者として裁判にかけねばならない」と説いている。 
スイス方式でいくのであれば、朝日・毎日新聞やTBSは発行や放送を差し止め、朝鮮総聯・共産党や人間の盾なんかは全員逮捕して裏切者として裁判である。 
日本が攻撃を受けるような戦時下においては、利敵行為となる思想信条の自由も報道の自由も一切存在しないのは当然のことなのである。 

平成十五年十一月にアルカーイダによる「東京テロ宣言」が発表された直後、日本の株価は一時暴落した。 
本物のアルカーイダの声明なのかどうかも不確かなのに、この程度の脅しでここまで株価を下げた国は世界中どこにも他には存在しない。 
つまり日本がいかに脅しに弱い臆病な平和ボケの国であるかということが、世界中に知れ渡っているということなのだ。 
この「正直な」市場の反応が、世界が日本をどのように見ているかを証明している。そしてその一因がこの抜け穴だらけの有事法制にもあることは言うまでもない。 

大騒ぎの末にようやく制定された有事法制だが、こんな有事法制では国は護れず、自衛隊を国軍と規定することから始めないと本末転倒である。 
長きに渡って歴代の政権は「自衛隊は軍隊ではない」とボケ続け、歩兵を「普通科」、砲兵を「特科」、戦車を「特車」と呼ぶようなごまかしを行ってきた。 
階級も「大佐や大尉では軍隊みたいだ」という理由で一佐だの一尉だのと名付け、さらに艦艇なども「漢字だと旧日本軍を思い出させる」という理由で、わざと勇ましさを感じさせないようにヒラガナで「こんごう」「みょうこう」などと名付けている。 
そして「軍隊ではない」からには軍法もなく軍事法廷も存在せず、従って例えば自衛隊員が交戦中に誤って敵側の民間人を撃ってしまった場合、この隊員は所管の地方検察庁に殺人罪又は傷害罪で起訴されることになってしまうのだ。 
さすが「軍隊ではない」と主張するだけのことはあって、防衛交戦上の誤射を刑法で裁こうとしているのは世界で日本ただ一国だけだ。 
本来、軍隊とは「禁止事項」だけを定めてフリーハンドを与えるのが国際的常識だが、日本の場合は「禁止事項」ではなく「可能な行動」を規定するという、国際常識とはまったく逆のことを行ってきたのだ。 

なお日本はその地政上において「専守防衛」だけでは自国を護ることは不可能であるにも関わらず、非現実的にして妄想的な「専守防衛」なるものを掲げているから、「ミサイルが何発か撃ちこまれてからでないと反撃できない」という阿呆の極みのような政府見解が出てくることになる。 
北朝鮮と対峙する現状下、「専守防衛」は直ちに撤廃されるべきであり、防衛のための攻撃力保持は絶対不可欠である。 
防衛力とは攻撃力と迎撃力の二つでワンセットであり、その片方を保持しないということは全てを保持しないにも等しい。 

国家が、そしてその国の政権が何よりも最優先するべきことは、国民の生命と財産を護ることである。 
それが国家が構成される基本ルールであり、生命や財産を護れないのであればその国家は必要なくなる。 

太古の原始時代から人類は、まず家族、そして集落を攻撃から護るために集団で戦ってきた。その集落が段々と統合されていき、現在の国家という単位になった。 
人類が集団生活に入った理由は、外敵から身を守るためなのだ。しかし、その国家としての最大かつ至高の義務を放棄してきたのが戦後の日本である。 

国家というものが独立主権を持ち他国がその主権を侵せないと国際間で公式に規定されたのは、一六四八年のウェストファリア条約だが、国家はその主権を守るために自国民に徴兵や納税の義務を課せる権利を持つと同時に、自国民の生命と財産を他国に奪われないように守る責任を負っている。 
突き詰めて言えば国家とは、一つの共同生活圏に属する国民を護るために存在している枠組みでもあり、それができなければ国家の資格はなく、従って徴兵や納税を国民に課す資格はない。 
故に北朝鮮に家族を拉致された方々は、原理で言えばこの国に納税する必要はないということだ。 
もし北朝鮮がアメリカ国民を拉致していたのなら、アメリカは偵察衛星でその所在を調べ、精強な海兵隊特殊部隊を突入させて奪還を図っていたことであろう。 
そしてもし仮に北朝鮮がその奪還に抵抗したら米朝全面戦争だ。それが本来の国家の姿であり、それ故に北朝鮮もアメリカ国民には手を出さなかったのである。 
妄想平和主義という一種の狂気に侵されて国家の資格を喪失している日本だからこそ、国民を拉致されても平気で何十年も放置してきたのだ。 

ちなみに私は日本は人口減少と高齢化から、いずれ徴兵制を導入する必要があると考えているが、国民意識の現状レベルを考えるとそれは憲法改正の次の段階の目標であろう。 
防衛大学元教授の柿谷勲夫元陸将補は私も親しくご指導を頂いている方で優れた軍事学の論客でもあるが、この徴兵制については同氏の『徴兵制が日本を救う』(展転社刊)をぜひ参照して頂くとして、実は徴兵制は現在の憲法でも違憲ではないということを本章では指摘しておきたい。 
左翼はよく徴兵が憲法第十八条「奴隷的拘束及び苦役からの自由」に違反すると主張するが、軍務が奴隷的拘束だとか苦役だと考える者など世界中どこにも存在せず、どこの国でも軍歴とは「名誉」であると考えられている。 
そもそもこの第十八条自体が、日本の女中とか丁稚が米国の奴隷制と同じようなものだと曲解した無知なGHQ職員の空想の産物でしかない。 
ソ連・中共・北朝鮮などのように国民を収容所へ入れて強制労働させることが奴隷的な拘束・苦役だと解釈するのが至当なのである。 
徴兵制は多くの国においては「国民の義務」であり、少子化と高齢化の進む日本では将来必ず徴兵制が不可欠となる時代が到来する。 

国を護るのは、妄想平和主義の根源たる妄想憲法なんかではなく、実際に国防の任にあたる兵士たちなのだ。軍事力よりも紙切れの文が「平和を守る」と考えることを妄想と呼ばずして何と呼ぶのか。 
自虐史観と妄想平和主義で国民を誤導しようとする左翼勢力が「平和憲法で国を護ろう」などと妄言をいくら叫ぼうとも、もし韓国が日本国憲法第九条と同じ条項を自国憲法に規定していたとすれば北の南侵はなかったのか、チペットが第九条を、クウェートが第九条を規定していたら侵略や攻撃を受けなかったのか、答は言うまでもない。 
日本が戦後このかたソ連や中共の攻撃・侵略を受けなかったのは、日米安保が有り、まがりなりにも自衛隊が存在していたからだ。それ以外の理由は一切ない。 

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