当人が家族を助けるために自らすすんで申し出るケースもあったし、親が子を騙して送り出すケースもあった。
女衒という人さらいが暗躍しており、ぶらぶらしている思春期の女の子に声をかけて「良い仕事があるよ」と騙して連れて行くケースもよくあった。
昔は乱交とか夜這いは日常で、女性に処女性を求めなかった。明治維新頃までの日本は性に奔放であった。
古くから朝鮮では客に自分の妻や娘を差し出す風習があった。
朝鮮の男性は金を貰っては自分の妻に売春をさせていた。
つまり日韓併合前は、朝鮮人女性=ほぼすべてが売春婦 だった。
昔はそのような行いは仕方ないと思われている程度だったが、
今は法律で規制されるようになった。
だから今の感覚で当時を裁いてはならない。
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自らすすんで申し出るケース
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山田清吉『武漢兵站』p100より
朝鮮から女をつれて帰った楼主が、まだ17,8歳に見える女の子をつれて兵站にきた。
戸籍謄本を見ると16歳である。これでは営業の許可はできない。
楼主は、貧しい田舎の習慣で出生届がおくれたので、実際は満18歳だという。
「馬鹿をいうな。年の足りない者に商売がさせられるか」とはねつけておいた。
すると一ヶ月ほどして、
その女の子が自分で兵站へやってきて、ぜひ働かせてくれと言い出した。
「どんなことをするのか知っているのか?」
「知っている」
「兵隊さんは乱暴だから辛抱できないぞ。泣いたって知らないぞ。」
「泣かない。どんなことでも辛抱する」
「そうか。それじゃ軍医さんに証明書を書いてもらって来い」
あるいは事実出生届がおくれたのかも知れないと思い、結局楼主の希望を入れ、軍医の身体検査をうけた上許可することにした。
この妓には美千子という名をつけてやった。
また天成の素質があったものか、二、三ヶ月経つと色気のある身のこなしがすっかり板について、いっぱしの女郎タイプになってしまった。
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田村正太郎『ビルマ脱出記』 より
ビルマから脱出前の捕虜収容所での話だが、英軍将校から「兵士たちの相手役を つとめる社交的な婦人を10名ばかり」差し出してくれと要請された自治会幹部は、クジで選ぶしかないと覚悟を決め、女子宿舎の100人ばかりを集め打診すると、「一人もいないはずの希望者が全員の半数を越える50人以上」という予想外の結果となり、10人をえらぶクジ引きをやったという。 しかも、選ばれた女性に英軍兵士からのプレゼントが多いのを知って、女子宿舎連中の羨望の的となったのを聞き、「幻滅感もまた大きかった」
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「憲友」1992年春季号の森分稿と森分談
娼婦になった動機を尋ねたら「家計を助けるために前借りしてきた」というのが殆どで、残りは「お金が儲かると友達に誘われたから」というものであった。
借金返済の終わった者もいて、豪華な毛皮のコートを持っていた者、せっせと親許へ送金している者もいた。
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親が売るケース
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伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』P290(以下私が要約しています)
中国のある村で日本兵が駐留した時の話。
兵隊が村の娘に「代償をやるから慰安婦になれ」とスカウトした。
父親と相談させ馬と金を贈ることで話がつき、娘は一隊の駐留間に慰安婦をつとめた。
翌年、その隊はまたその村へ駐留したら、前年は逃げていた娘が全部村に残っていた。
彼女達は慰安婦になって金と馬を得たいと思い、誰ひとり日本軍を避けなかったのである。
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「女の戦記」
春子は、昭和16年前後、地元の朝鮮人巡査に「お国のために」と騙され売春宿(吉田という日本人の男と玉子という女の夫婦)に売られた。(金を受けとった記述はないが)「女子愛国奉仕隊」に志願したという建前になっているが、それは巡査の嘘で強制的に村から五人をまとめて連れていかれたようだ。
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「吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日」
大正13年。吉原に売られた少女の日記。
「楽に稼げる仕事だから」という周旋屋の甘言を信じた世間知らずの19歳の娘、光子。
何をさせられるのか、よくわかってなかった。
客に「何もしないから」と床につかされてもまだ男を信じていた。
周旋屋への怒り、自分を売った母への怒り、騙された自分の馬鹿さかげん…その悔しさ、とまどいぶりが手に取るようによく伝わる。
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当時の価値観を知ることのできる話
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「からゆきさん」
明治から昭和の初めの頃に少女時代を過ごした元からゆきさんの老婆に話を聞くと、「おんなのしごとをしとった」とあっけらかんとしているという。
当時のある地域では性に対する価値観が今よりおおらかだったようだ。だから子守りも女中も娼妓もひとしく奉公と言い、差別しなかった。
昭和初期まで離島や僻地では、乱交や夜這いの風習が残っていたという。
「明治37年(1904年)福岡県筑紫郡岩戸村恵子でのことである。
村の娘が数えの13歳になると親から村の若者組に酒肴が贈られ、水揚げと称して性の自由が認められていたが、それが新聞上でとりざたされていたのである。もともとこのような成人後のしきたりは各地にあった。村によって差はあったが、一定の年齢に達した男女がそれぞれ若者組や娘組に入って夜のひとときを楽しみあうのである。
岩戸村でのこの若者たちの風習が新聞記事となったのは、一人の幼すぎる少女の死によってであった。」p50
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「ソウル城下に漢江は流れる」
客人として地方の有力者の家で一夜を過ごす場合、泊る客人の身分にもよるが、たいてい食事の世話をするのは饌婢と呼ばれるはしためである。接客する方も夜伽を差し出さねばすまないほどの高貴な客が来訪すると
ー むかし朝鮮では一時、賓客が訪れると娘や妾を差し出して添寝させる風習があって、これを客妾といった ー
どんな大監であっても、夫人とか娘を客に供し、かの女たちはそれぞれ独自の方法で相手を勤めたものである。 p16
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近年の感覚
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こんな大昔だけではなく、近年でもこんな感覚だった。
現代の慰安婦たち―軍隊慰安婦からジャパゆきさんまで リンク切れ
韓国で意欲的に女性解放運動にとりくんでいる女性評論家がこう発言している。
「身体を売る女はどこの国にもいる。
キーセン観光は国家的政策であり、女性問題ではない。」
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今も昔も変わらない韓国人売春婦の実態
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アメリカで韓国人売春婦が、コトが終わって金を受け取った後に「レイプされた」と言って客を訴える事例が続出し、裁判所から「奴らに気をつけろ」という通達が出たそうですw
http://bit.ly/Nus0DP
女衒という人さらいが暗躍しており、ぶらぶらしている思春期の女の子に声をかけて「良い仕事があるよ」と騙して連れて行くケースもよくあった。
昔は乱交とか夜這いは日常で、女性に処女性を求めなかった。明治維新頃までの日本は性に奔放であった。
古くから朝鮮では客に自分の妻や娘を差し出す風習があった。
朝鮮の男性は金を貰っては自分の妻に売春をさせていた。
つまり日韓併合前は、朝鮮人女性=ほぼすべてが売春婦 だった。
昔はそのような行いは仕方ないと思われている程度だったが、
今は法律で規制されるようになった。
だから今の感覚で当時を裁いてはならない。
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自らすすんで申し出るケース
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山田清吉『武漢兵站』p100より
朝鮮から女をつれて帰った楼主が、まだ17,8歳に見える女の子をつれて兵站にきた。
戸籍謄本を見ると16歳である。これでは営業の許可はできない。
楼主は、貧しい田舎の習慣で出生届がおくれたので、実際は満18歳だという。
「馬鹿をいうな。年の足りない者に商売がさせられるか」とはねつけておいた。
すると一ヶ月ほどして、
その女の子が自分で兵站へやってきて、ぜひ働かせてくれと言い出した。
「どんなことをするのか知っているのか?」
「知っている」
「兵隊さんは乱暴だから辛抱できないぞ。泣いたって知らないぞ。」
「泣かない。どんなことでも辛抱する」
「そうか。それじゃ軍医さんに証明書を書いてもらって来い」
あるいは事実出生届がおくれたのかも知れないと思い、結局楼主の希望を入れ、軍医の身体検査をうけた上許可することにした。
この妓には美千子という名をつけてやった。
また天成の素質があったものか、二、三ヶ月経つと色気のある身のこなしがすっかり板について、いっぱしの女郎タイプになってしまった。
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田村正太郎『ビルマ脱出記』 より
ビルマから脱出前の捕虜収容所での話だが、英軍将校から「兵士たちの相手役を つとめる社交的な婦人を10名ばかり」差し出してくれと要請された自治会幹部は、クジで選ぶしかないと覚悟を決め、女子宿舎の100人ばかりを集め打診すると、「一人もいないはずの希望者が全員の半数を越える50人以上」という予想外の結果となり、10人をえらぶクジ引きをやったという。 しかも、選ばれた女性に英軍兵士からのプレゼントが多いのを知って、女子宿舎連中の羨望の的となったのを聞き、「幻滅感もまた大きかった」
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「憲友」1992年春季号の森分稿と森分談
娼婦になった動機を尋ねたら「家計を助けるために前借りしてきた」というのが殆どで、残りは「お金が儲かると友達に誘われたから」というものであった。
借金返済の終わった者もいて、豪華な毛皮のコートを持っていた者、せっせと親許へ送金している者もいた。
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親が売るケース
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伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』P290(以下私が要約しています)
中国のある村で日本兵が駐留した時の話。
兵隊が村の娘に「代償をやるから慰安婦になれ」とスカウトした。
父親と相談させ馬と金を贈ることで話がつき、娘は一隊の駐留間に慰安婦をつとめた。
翌年、その隊はまたその村へ駐留したら、前年は逃げていた娘が全部村に残っていた。
彼女達は慰安婦になって金と馬を得たいと思い、誰ひとり日本軍を避けなかったのである。
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「女の戦記」
春子は、昭和16年前後、地元の朝鮮人巡査に「お国のために」と騙され売春宿(吉田という日本人の男と玉子という女の夫婦)に売られた。(金を受けとった記述はないが)「女子愛国奉仕隊」に志願したという建前になっているが、それは巡査の嘘で強制的に村から五人をまとめて連れていかれたようだ。
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「吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日」
大正13年。吉原に売られた少女の日記。
「楽に稼げる仕事だから」という周旋屋の甘言を信じた世間知らずの19歳の娘、光子。
何をさせられるのか、よくわかってなかった。
客に「何もしないから」と床につかされてもまだ男を信じていた。
周旋屋への怒り、自分を売った母への怒り、騙された自分の馬鹿さかげん…その悔しさ、とまどいぶりが手に取るようによく伝わる。
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当時の価値観を知ることのできる話
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「からゆきさん」
明治から昭和の初めの頃に少女時代を過ごした元からゆきさんの老婆に話を聞くと、「おんなのしごとをしとった」とあっけらかんとしているという。
当時のある地域では性に対する価値観が今よりおおらかだったようだ。だから子守りも女中も娼妓もひとしく奉公と言い、差別しなかった。
昭和初期まで離島や僻地では、乱交や夜這いの風習が残っていたという。
「明治37年(1904年)福岡県筑紫郡岩戸村恵子でのことである。
村の娘が数えの13歳になると親から村の若者組に酒肴が贈られ、水揚げと称して性の自由が認められていたが、それが新聞上でとりざたされていたのである。もともとこのような成人後のしきたりは各地にあった。村によって差はあったが、一定の年齢に達した男女がそれぞれ若者組や娘組に入って夜のひとときを楽しみあうのである。
岩戸村でのこの若者たちの風習が新聞記事となったのは、一人の幼すぎる少女の死によってであった。」p50
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「ソウル城下に漢江は流れる」
客人として地方の有力者の家で一夜を過ごす場合、泊る客人の身分にもよるが、たいてい食事の世話をするのは饌婢と呼ばれるはしためである。接客する方も夜伽を差し出さねばすまないほどの高貴な客が来訪すると
ー むかし朝鮮では一時、賓客が訪れると娘や妾を差し出して添寝させる風習があって、これを客妾といった ー
どんな大監であっても、夫人とか娘を客に供し、かの女たちはそれぞれ独自の方法で相手を勤めたものである。 p16
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近年の感覚
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こんな大昔だけではなく、近年でもこんな感覚だった。
現代の慰安婦たち―軍隊慰安婦からジャパゆきさんまで リンク切れ
韓国で意欲的に女性解放運動にとりくんでいる女性評論家がこう発言している。
「身体を売る女はどこの国にもいる。
キーセン観光は国家的政策であり、女性問題ではない。」
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今も昔も変わらない韓国人売春婦の実態
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自発的性売買5000人…米「韓国は性輸出国」
http://japanes §code=400(中央日報)e.joins .com/ar ticle/a rticle. php?aid =126510 &servco de=400
「韓国は性的搾取のための人身売買被害者を供給する国家だ」--。
米国国務省が昨年発表した韓国人身売買現況報告書の内容だ。一言で韓国が「性輸出国」とは恥ずかしい話だ。報告書は特に韓国の性売買女性たちを他の国家と違い「自発的人身売買」にあたると分類した。韓国は事業主と合意の下で自発的に身分証を返納し、性売買をするケースが多いというのだ。
遠征性売買の規模も少なくないものと推定されている。カリフォルニア州立大ティモシー・リム教授は2006年研究報告書で「毎月400~500人の韓国女性がカナダを通じて米国に渡っており、このうち5000余人が性売買に携わるものとみられる」と明らかにした。これに対し、中央大学イ・ナヨン教授(社会学)は「性売買産業が国境を越え、組織的に広がっているという点で“性売買産業の地球化”と言える」と指摘した。警察隊ピョ・チャンウォン教授(行政学)は「性輸出を連結する鎖を絶つためには両国間の協力が必須だ」とし「韓国内の送出組職に対する積極的な捜査が至急だ」と指摘した。
韓国女性100人 日本などで売春
女性100人、日本などで売春=高校生も、あっせん業者逮捕-韓国
韓国の警察当局は15日、16歳の女子高生を含む韓国人女性約100人を日本やグアム島に送り、売春させたとして売春あっせんなどの容疑でブローカーの男ら3人を逮捕したと発表した。女性が働かされた東京都台東区の出張風俗店は約4年間で約100億ウォン(約7億3000万円)の利益を得ていた。
逮捕された男らは「海外の風俗店で働けば、毎月3000万ウォン(約220万円)以上、稼ぐことができる」との虚偽の広告をインターネットの求人サイトに掲載。
応募した女性が日本に入国した後、パスポートを取り上げ、働かせていた。
売春目的で女性を日本へ=「簡単に稼げる」と宣伝-韓国
【ソウル18日時事】韓国の京畿地方警察庁は18日、売春目的で日本へ女性を送っていたとして、性売買防止特別法違反の疑いで、ブローカーの韓国人の男(47)ら2人を検挙した。
同庁によると、男は昨年12月から今年3月にかけ、インターネットの求人サイトを通じ、売春目的で女性57人を募集。川崎市の韓国人風俗業者に紹介したり、同市の自分の店で雇ったりして、計1350万円の利益を不当に得た疑いが持たれている。
男はネットで「日本に行けば、月2000万ウォン(約150万円)を簡単に稼げる」と宣伝。女性からメールで写真を送ってもらった後、電話で年齢などを尋ねた上で送る女性を決めていた。警察関係者は「韓国での取り締まりが厳しくなっているほか、円高の影響もあり、こうした犯罪が増えている」と話している。
韓流デリ嬢日本大量流入の呆れた言い分
http://www.tok yo-spor ts.co.j p/nonse c/45103 /
2012年10月04日 16時00分
「日本による最大の被害者は韓国女性だ」――。竹島の領有権主張と合わせ、従軍慰安婦問題について韓国側がより声高に発信しているメッセージだが、これがいかに「理不尽な話」かがよくわかる逮捕劇があった。警視庁が先週、東京・鶯谷周辺で韓国女性に売春させたとして、韓国籍の経営者(32)ら3人を逮捕。調べてみると、自国で稼げなくなった女性をスカウトし、日本で商売をさせ荒稼ぎしていた実態が明らかになった。
警視庁保安課に売春防止法違反(周旋)容疑で捕まったデリバリーヘルス「オッパ」の経営者は「短期で稼ぐには売春しかない」と容疑を認めている。毎月韓国に渡り、20代女性を「日本で売春すれば月400万円稼げる」とスカウトしていた。常時15人が待機し、売り上げは月1600万円ほど。韓国人売春クラブとしては過去最大規模だという。
韓国はあれだけ“日本嫌い”をアピールしておきながら、不思議なことにスカウトされてやってくる女性が後を絶たない。しかも韓国の国会議員によると、国外で売春をしている韓国女性は10万人以上おり、関係者によると、そのうち「5万人が日本にいるとされる」というから、もはやあきれるほかない。だが、その裏にはこんな事情があった。
「韓国では2004年、性売買特別法が施行され、風俗への取り締まりが厳しい。風俗街の摘発がすさまじく、客が激減し風俗店も半減した。風俗嬢は日本の鶯谷に流れ込んでいるのです」(ある韓国人ジャーナリスト)
それでいて、韓国内では「日本は悪の巣窟」と報道されている。「韓国では『日本の人身売買対策が不十分で、日本による最大の被害者は韓国女性だ』という内容です」(同)
今回の逮捕劇を見ても、実際に韓国人ブローカーが動き、韓国人経営者が韓国女性をカネでスカウトして売春させていたのは明白だ。それなのに、客としてカネを払っている日本人だけを「加害者だ」と言い張っているわけだ。
従軍慰安婦問題にも共通しているというのは、事情に詳しいジャーナリストだ。
「戦中に朝鮮半島から従軍慰安婦を募集した多くは朝鮮人ブローカー。新聞広告などで破格の高給をエサに女性を集めた。その構図は今回と同じ」と説明。ただし根本的に違う点は当時、公娼がれっきとした職業で、募集活動も法にのっとったものだったこと。
「その慰安婦について、韓国は今になって『日本軍は強制的に連れ去り、性奴隷にした』と歴史的証拠がないにもかかわらず、捏造証言を引っ張り出して言い張るんですから、ほとほとあきれます」(同ジャーナリスト)
風俗ライターは「鶯谷の韓国デリヘルといえば、昔はぼったくりでしたが、今は20代の整形美女で外見的なハズレが少なく、本番アリが基本。そもそも韓国では日本のヘルスやピンサロのようなライト風俗はなく、生かゴムかなどの違いはあっても必ず本番がある」と指摘する。
法律違反と知りながら他国で売春行為を繰り返し大金を稼ぎ、「そっちが悪い」と言い張っているのだから、つくづく奇妙な国だ。
アメリカで韓国人売春婦が、コトが終わって金を受け取った後に「レイプされた」と言って客を訴える事例が続出し、裁判所から「奴らに気をつけろ」という通達が出たそうですw
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