クリップ近年、世界各地で発生している中国人観光客による「文明の衝突」はもはや環境汚染に近い!注意されたら聞くどころか逆ギレ 
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20110224-01/2.htm 

韓国・ソウルを旅行していたニューヨーク在住の華人評論家・陳勁松氏は韓国大統領府である青瓦台前で、中国人観光客らが警官の制止を聞かずに写真を撮っているのを見かけた。閲兵交代式などが観光客に人気の青瓦台だが、実際に大統領が執務している政治の中枢であり、たとえば外国首脳の車列が入るときなどは撮影禁止のルールがある。 

 警官らは中国人観光客に「車列が通り過ぎる10分間だけ待つように」と英語で呼び掛けたが聞かず、写真を撮り続けたので、警官が手を押さえて止めさせようとしていた。ところが中国人観光客は数にものを言わせて強引にカメラを向けようとしていた。陳氏は英語がわからない故のトラブルだと思い、中国語で説明して注意したが、中国人観光客は「なぜいけないのか!」と逆ギレしたという。「どうしてわずか10分、協力できないのか。中国人はマナーやルールを知らないのではない。知っていて破るからタチが悪い!」 
 と陳氏はきっぱり言う。 

 パリ・ルーヴル美術館でも、中国人観光客の蛮行が目に余ると、他国の観光客からのひんしゅくを買っている。展示品にべたべた触る。彫刻の人物の肩に手をまわしてピースサインで写真を撮るなどやりたい放題。「引率の中国人女性のツアーガイドに、『ああいうのは止めさせないといけない』と意見したら、『ちゃんと展示物をガードしていないから、仕方ない』と平然と言う。そういう責任転嫁をされると、ほんと言葉を失います」 
 と北京で旅行代理店に勤務する日本人女性は言う。 

 歴史文化財の宝庫イランの地方都市マシュハドでは、日本人女性バックパッカーがこんな光景を見かけた。聖廟に入るとき、女性は頭から被るチャドルを渡され、それを身につけないといけない。また中には異教徒が入れない部屋、女性が入れない部屋もある。でも、中国人中年女性は、まずチャドルを身につけることを拒否。そして、入ってはいけないと制止されているにもかかわらず、女性が入れない部屋にずかずか入っていく。 

 目に余ったので、その場に居合わせた日本人女性が中国語で「ここに女性は入ってはいけない」と注意しても、聞かない。 
で、記念写真1枚撮ったら、すぐ興味を失ったみたいに行ってしまう。「この人たちは異国の文化や伝統や宗教を尊重しようという気がさらさらないんだ、だからチベット族やウイグル族とも衝突しているんだな」 
 と感じたとこの日本人女性は話す。 

ところ構わず痰を吐く、手鼻をかむ、子供に大小便をさせる、 
ゴミをポイ捨てする、ホテルの備品を持ち帰る、喫煙が禁じられているエレベーターの中でも平気でたばこを吸う……。 



中国人のマナーの悪さは今に始まったことではなく、日本の観光地でもこのような光景が当たり前のように目に入る。 

 これを一部の寛容な日本人たちは、中国は発展途上国で旅行ブームも始まったばかりなので、旅先の文化やマナーを知らないせいだとし、旅行機会が増えて旅行文化が成熟してくれば改善されるはず、と擁護する。高度経済成長期の日本人旅行者のマナーも相当悪かったではないか、と。 

 しかし中国人のマナーの悪さは、そういった無知によるものとは質的に違う。「自分こそが中心」という中華思想そのままに旅先の地を汚染していくのだ。 

 昨年26か国を旅し、世界各地に進出する中国人の実態を取材してきたスペイン人ジャーナリストのエリベルト・アラウージョ氏は言う。「セレブが集まる観光地・ドバイの主な観光客は中国人です。私が訪れた時、7つ星ホテル『ブルジュ・アル・アラブ』全室202室のうち52室が中国人の予約でした」 

 世界で最も贅沢に金を使う旅行者も中国人であることは間違いない。しかし、その中国人のために、ドバイにはそれまでなかった「中国小姐」が働く「お持ち帰り専用」カラオケ店も次々進出し、今や中国人売春街が形成されつつあるという。また、温州商人が経営するドラゴン・マーケットと呼ばれる中国雑貨市場も形成され、まるで浙江省・義烏のマーケットがそのまま引っ越してきたようだとも。 

 金払いは良いのかもしれないが、異国の観光地を自分好みに変えないと気が済まない中国人観光客のインパクトは、確かに現地に高額のカネをもたらすが排水で河川の水質や土壌を変質させる工場の公害に近いものがある。 

 2005年にオープンした香港ディズニーランドは5周年を迎えた昨年、のべ2000万人以上の入場客を数え、うち4割以上が大陸からの客に支えられているが、同時に彼らのマナー違反の問題はオープン当初から指摘され続けている。 


 特にトイレ以外で子供に大小便をさせる、ゴミのポイ捨てなど汚物に対する感覚の根本的違いは、他国の観光客を駆逐しかねないインパクトだ。「中国の地方では幼児に股が割れているズボンをはかせて便意を催したら、どこでも用を足させる光景をしばしば見かけますが、同じことをディズニーランドでもやってしまうわけです。ある航空会社の中国線の客室乗務員から聞いたのですが、機内の通路に大便が落ちていて騒ぎになったこともあったそうです」 
 と話すのは北京在住の日本人コンサルタントだ。 

 もちろんこういった中国のイメージを損なう中国人の「不文明行為」を改善しようと中国政府・当局も躍起で、北京五輪や上海万博などを機に、文明教育強化キャンペーンを行なっている。しかし、こういったキャンペーンは無駄だと前出の陳勁松氏は言う。「中国には『上梁不正下梁歪(上の梁が正しくなければ下の梁も歪む)』という成語があります。つまり、中国人観光客のマナーの悪さは中国政府の外交マナーの悪さに倣っているのです」 

 たとえば中国の獄中の人権活動家・劉暁波氏がノーベル平和賞に選ばれるかどうかという時、中国は貿易カードをちらつかせてノルウェー政府に外交圧力をかけた。「こんな国際常識やルールを顧みず恫喝外交を平気でやる中国政府が、人民にいくらマナーやルールを守りましょうと言っても説得力ありません」(前出・陳氏) 

 観光立国を目指そうという観光庁や各観光国政府は、大金を落とす中国人観光客を誘致しさえすれば観光収入が上がって満足なのかもしれないが、観光は一種の民間外交。国の外交と同様、訪れる方も迎える方も国としての文化と誇りを背負っている。

その国として背負う文化と誇りを 
一向に尊重してもらえないどころか、 
札束で叩き壊そうとする輩
には、毅然とノーと言う場面も必要ではないだろうか。外交にも観光にもそういう姿勢が欠けていては、ただの拝金国家に成り下がる。 

クリップ日本を訪れた中国人が感じた大きな差 
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=1020&f=column_1020_011.shtml 

経済発展著しい中国。北京や上海の発展具合は、もはや日本の都市と遜色ない。事実、中国国内で手に入らない物も存在しないであろう。このブログは成長著しい上海から代表団の一員として日本を訪れたに中国人が、訪日後に感じた日本と中国の大きな差について述べたものである。以下はそのブログより。 
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  2008年2月、私はある訪日代表団の一員として初めて中国を出国し、日本へ赴いた。 

  日本についてから様々な交流活動に参加し、観光地を見て回って思ったことがある。それは概観上、日本と中国は確かに似ているということだ。また、東京以外の都市はどこも大して発展しておらず、スーパーもデパートも中国のと似たり寄ったり、地下鉄や道路にいたっては中国のほうが広いではないか。これなら現在の上海のほうがすごいではないかと、私は心中、自惚れを禁じ得なかった。 

  しかし、日本を細かく観察し、真剣に考えてみれば見るほど、私の心は重くなった。考えれば考えるほど、中国人と日本人の間には大きな差が存在することを認めざるを得なかったからである。その「差」とは物質的な差だけでなく、人的素質や考え方などにおける差である。 

  一つ目は公衆道徳における差である。日本人は非常に公衆道徳を重んじる。日本での滞在時間は短かったものの、日本側が用意したスケジュールは内容に富んでいて、沖縄と北海道以外の主要都市はほとんど全て訪れることが出来た。そこで感じたことは日本人は落ち着きがあり、礼儀正しいということだ。 
  もし、路上で道を尋ねたとしても、尋ねた相手が老若男女問わず、非常に親切に道を教えてくれることだろう。決して白い眼で見られるということはないはずだ。 

  二つ目は仕事に対する意識の差である。私が日本で眼にした光景から言えば、日本人は非常に仕事熱心で勤勉である。一人二人の模範的人物だけが必死になっているのではなく、組織に属する人々全員が努力している印象を受けた。彼らの高い積極性は何に由来するのであろうか? 

  これらはわずか数日だけの旅行で見たものであり、全てが正しいわけではないかもしれない。また、中国の30年にわたる改革開放の結果、物質面では日本に追いつき、追い抜くことすらすでに難しいことではない。しかし、精神面においてはまだまだ差があり、その差は決して小さくないという事実は否定することは出来ない。 

  私はこのブログを日本を褒め称えるために書いているわけではない。一人の共産党員として、私は中国が特色ある社会主義を完成させるであろうことを信じているし、そのためには物質面だけを現代化しても無意味である。我々は人的素質の向上と考え方の転換を以って、精神面と政治面の現代化が必要である。我々はまだまだ努力が必要であることは間違いない。