韓国の日本大使館で勤務したことがある外交官がこんなエピソードを紹介。
「アメリカでのことだが、
韓国の留学生が日本の植民地支配、非人道的行為を口を極めて告発したら、
日本の女子学生は『全然知らなかった、ごめんなさい』と泣いてあやまり、
アメリカ人から見て異様だったという」(道上尚史『日本外交官韓国奮闘記』)
本当に異様です!
だってアメリカ人の感覚ではこう↓です。(以下マイミクさんの話から)
________________________________
何年か前の夏、戦争に関するドキュメンタリーがテレビでたまたまやっていたので見ていたら、原爆投下に関わった当時の研究者だか軍人だかを広島に連れてきて被爆者と対面させ、謝らせようという世にも恐ろしい番組だった。
お歳を召した男女が涙ながらに被爆体験を話して聞かせ、さあ謝ってくれとその米人に詰め寄ると、
「謝らない。私だって多くの友人をあの戦争で失ったんだ。」
________________________________
アメリカの教科書では、原爆の事だけでなく、インディアンの大量虐殺やハワイやフィリピンの略奪のことは殆ど触れられていない。
韓国人もベトナム戦争の目的を「世界平和の維持」と言い、貢献したと思っている。
どこの国でも、反省は必要だが、国益と自国民の尊厳を守り卑屈化を防ぐため
自国の非を隠そうとするのは、個人の場合と同様であり当然のこと。
日本人は自分が悪くなくても相手を不機嫌にした事に対してとりあえず謝るのが習慣だし、「謝ったら許される」という甘えがある。
一方、韓国では、相手の立場を少しでも立てたり、自己反省したりすることは、
一族末代までの恥として絶対に許されない文化。
日本人は「昔の日本人がしたことで今の私とは関係ない」「死んだら皆仏様」と思うかもしれないが、
韓国には「親の罪 は子も背負う」という価値観が強い。
だから一度抱いた「恨」は解消することなく、一生どころか末代まで祟る。
実は、韓国の「恨」という言葉に深い意味が込められている。
長い間中国の属国だったことが朝鮮民族のそういう民族性を作り出したのだ。
それは「恨む」とかいう日本語で直訳できるものではなくて「自分の思いがあっても決してそれをさせない周囲の環境が自己を責めたり他者を責めたり泣いたりわめいたりどうにもならない鬱屈したものが常に民族的記憶として刻み込まれている状態」だそうだ。
中国にロシアに日本にとしょっちゅう攻め込まれて蹂躙されてればそういう性質になっても仕方が無い。
そして今、韓国は反日を国是としており、
日本人に対する憎しみを募らせるよう強烈な反日教育までしている点が問題だ。
韓国の小中学校で行われている反日教育
http://www.youtube.com/watch?v=aAK64INxLWk&feature=related
内容は被害妄想に凝り固まっており事実を捉えようとしてない。
反日がプライドの支えになっているので、反日がなければ韓国人は生きていけないのだ。
だからこちらが事実に基づいた主張をしても韓国人には通じない。
竹島が日本の領土である証拠を見せても目を背ける。
なぜなら竹島は愛国の象徴だから真実がバレたら困るのだ。
そういった民族性や事情を理解した上で付き合っていかねばならない。
昔から、いずれの国も非を暴くのは外国人と相場は決まっている。
それに対して日本では、日本の左翼メディアや一部の学者のように、外国人でもあるまいに、正義と良心の権化となり、教科書問題や南京事件に見るのごとく、自国の非を言いつのっている。
あえて、歴史の暗部や日本人の悪い部分に食らいつき、焦点を当てたがる。
外交上不利になるようなことは、自国民自身が言ってはならないことなのに。
ある外国人の発言。
「日本のマスコミは自国の誇りに思えることは報道しないのに、
自国の恥となることを積極的に報道するのが不思議だ」
こちらの謝罪により相手が胸のすく思いをするだろうが、
そんなのは隣国への迎合と媚びへつらいと世辞以外の何物でもない。
日本人はケンカや主張が苦手だが、世界では対立が当たり前。毅然と反論するべき。
以下はその時代を生きた人の説得力のある証言。ここから引用
「日本の韓国統治は公平だったと聞いた」by石原知事 (09年4月16日asahi.com)
英国人記者から「知事は日本の朝鮮半島への行為を矮小化しているため開催地に選ばれるべきではないという、韓国での報道を知っているか」と問われ、
「ヨーロッパの国によるアジアの植民地統治に比べ、
日本の統治は公平だったと朴大統領(韓国元大統領)から聞いた」と述べた。
石原知事は「日本の韓国の統治がすべて正しかったと言った覚えはまったくない」としたうえで、「日本のやったことはむしろ非常に優しくて公平なものだったということをじかに聞いた」と述べた。
この韓国の報道というのは、完全に現大統領の体制下での日本=悪という大嘘史観に凝り固まった発想から出ています。
その背景には、日本の朝鮮統治は、苛酷で無慈悲なものであったという捏造した歴史観がある。
ところが石原知事は、たったひとことでこの捏造史観をひっくりかえしてしまいました。
「日本が韓国にしたことは非常に優しくて公平だったと、韓国の 朴正煕元大統領から聞いたよ」(笑)
朴元大統領といえば、1961年から1979年に暗殺されるまで、実に18年間にわたって韓国の大統領その他の最高位にあった人物であり、戦後の大韓民国(韓国)復興の第一人者です。
朴元大統領がいなければ、漢江の奇跡と呼ばれる戦後韓国の経済成長は実現しなかった。
その朴元大統領の現役時代、福田赳夫首相が韓国を訪問した。
酒席において日韓の閣僚たちが日本語で会話をしている最中、韓国側のとある高官が過去の日本による植民地統治を批判する旨の発言を始めた。
このとき朴大統領は、
「(自分は)日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。
自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。
すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。
さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。
卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。
日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している」
と語り、批判的発言をした韓国高官をたしなめた。
石原知事の発言は、このときの模様を語ったまごうことなき事実です。
そして、朴元大統領の言葉は、大統領自身の実体験から出ている言葉でもあります。
朴正煕は、日本統治下の朝鮮の慶尚北道善山郡亀尾(現在の亀尾市)で、貧しい農村部家庭の5男2女の末子として生まれました。
父親は科挙に合格したが、日本によって韓国が併合された後に没落し、墓守をしていた。
小学生の頃は、学校に弁当を持って行けないほど生活は苦しく、後世、酒に酔うたびに友人や側近に「俺は本当の貧しさを知っている」と語っていたといいます。
家が貧しいうえに病弱だったけれど、朴氏は猛勉強をして、亀尾小学校を首席で卒業。
大邱師範学校を卒業し、慶北聞慶国民学校で3年間教師をした後、日本国籍のまま満州国軍の新京軍官学校で学び、同校を首席で卒業した。
そして優秀な成績のため、特に選ばれて日本の陸軍士官学校に留学しています。
そして日本の陸軍士官学校を3位の成績で卒業(57期)し、終戦時は満州国軍中尉となっていました。
そして1961年、僅かな人数で「軍事革命委員会」を名乗り、反共親米、腐敗と旧悪の一掃、経済再建などを決起の理由として軍事クーデターを起こします(5・16軍事クーデター)。
そしてその2年後に韓国大統領となり、1965年に日韓基本条約を締結。日本との国交を回復します。
日韓基本条約は過去の植民地支配を清算するものでなく、僅かばかりの金で国を売るものであるとして、民主化活動家の大学生に市民も加わった韓国民と野党議員たちの激しい抵抗があった。
日本国内でも、条約に基づく巨額の資金提供は独裁政権を利するとして共産主義者からの反対があり、大学生を中心に大々的な反対運動が展開されていた。
しかし朴大統領は、日韓基本条約を強行。このとき日本から得た資金で、経済開発院を設立。
日本の八幡製鐵所をモデルとした浦項製鉄所を築き、石油化学工場建設を急がせた。
そうして1961年には国民1人あたりの所得が僅か80ドルという世界最貧国圏から、1979年には1620ドルへと、在任中の僅か18年の間に、国民所得を約20倍も跳ね上げた。
これが、世にいう「漢江の奇跡」です。
要するに、朴大統領がいず、日韓基本条約の締結も生まれていなければ、漢江の奇跡はなく、韓国はいまだに世界の最貧国であった。
朴大統領に反発し、日韓基本条約締結に反対したのは、韓国の民族主義者や日本の共産主義者、社会主義者らなのだけど、彼らの言うことを聞いていたら、韓国はおそらく今でも北朝鮮と経済力の変わらない、世界の最貧国のままであった。
経済成長ばかりが良いこととはいえないという反論もあるだろうけれど、誰だって、貧しいよりは、少しでも豊かな方がいいし、飢えに苦しむよりは、3度の飯をちゃんと食べれる生活の方がありがたい。
そして韓国が豊かになったのも、北のように民衆が飢えに苦しまずに済んでいるのも、朴大統領による日韓基本条約の締結があったからであり、その朴大統領自身が、高い知性と教育を受けることができたのは、日本統治の公平性があったから、という事実を知ることができます。
そういう歴史的事実を冷静に検証すれば、「日本統治を矮小化している」等の今回の韓国内の報道は、単にコミュニスト(共産主義者・社会主義者)の世間を謀る薄汚い嘘いつわりにすぎないということがわかる。
そしてコミュニストの陰謀が、いかに東亜の平和と安定と庶民生活の向上を阻害しているか。ここまで(引用元不明)
国際社会では嘘でも強く主張されたものが正しいと判断される場合も多々ある。
「相手を立てる」「他国の事をアレコレ言わない」「まずは自分の反省が先」という日本特有の謙虚さも 国際社会では足を引っ張る結果になるので、その価値観が通用する相手だけにすべき。
やはり言うべき時にははっきりとモノを言う日本にならなければならない。
石原知事の今回の発言は、そんなことを見事に体現してくれたものだと思います。
以下にもう一度歴史のおさらい
当時、植民地政策は「善」であった。
強引に併合したのではなく、当時の流れとしては自然であったし、国際的にも承認されていて、「侵略」というイメージとはほど遠いものであった。
帝国主義欧米諸国がしたような搾取と略奪だけ、という侵略ではなかった。
西欧列強の植民地政策「搾取」に対し日本のそれは「同化」。
「同化」政策は、当時としては多国の植民地政策に比して進んだ政策であった。
国全体の経済発展と民間人の生活を向上させた。
確かに差別もあったろうが。
もともと、李朝500年にわたる両班階級による圧政により、農民は搾取と略奪されていて、人口も下降線をたどっていた。
「働くことは卑しい事」という価値観がはびこっており、
科挙試験に合格した官僚たちが生産的勤労には絶対に就かないばかりか、儒教による空理空論をふりかざすばかり。
近代化のためには海外留学の必要があるのに、儒教・朱子学に固執するだけで、海外に学ぶことを奨励するようなことはなかった。
国家や政府としての役割を果たすこともなく、官僚は売官買職に奔走するありさまであった。
もちろんインフラ整備などには関心はなく、国政紊乱状態で、経済観念もなく、末期には財政も破綻していたので、自主的な近代化などあるはずもなかった。
朝鮮では道路や橋はクーデターに利用されるという恐れを考えて、整備されておらず、あぜ道程度のものばかりだったので、経済活動が成立するはずもなかった。
併合前
農民は両班によって搾取されておりとても貧しかったが、日本人の指導で耕地面積も増えた。
品種改良によって収穫量も倍増。 人口も32年でほぼ倍に。
日本人の多額の税金を使いインフラ整備し、
教育水準を上げ、一般市民にハングルを普及させ、
一部特権階級以外ほとんど乞食同然の状態から、近代化を成し遂げた。
ロシアか清に侵略されていたら、利権を得ることはあっても朝鮮のためになることは何一つしなかっただろう。
併合後
「韓流“自己絶対正義”の心理構造」 (『諸君!』 06年4月号より一部抜粋)
櫻井よしこ/関川夏央(作家)/古田博司(筑波大学大学院教授)
櫻井 「日中韓『靖国参拝』大論争」(文芸春秋2005年8月号)のときにも感じたのですが、韓国の人たちは都合の悪いところ、自分にとって弱いところを突かれると答えようとしない。そして、まったく別のところに話題をポンと変えて、また怒りだす。
関川 そうして、自分で自分を徐々に激昂させながら、涙と汗の反日に話を運んでいく傾向がありますけれど、いまだそういうテクニックは有効なのでしょうか。
櫻井 以前、呉善花さんと話していたら、「櫻井さん、あなたの話し方では絶対ダメよ」と言われました。「とにかく相手より大きな声と尊大な態度、相手より大げさな形容詞と身振り手振りで非難しないと、韓国では論争に勝てない」と(笑)。
関川 もうひとつ付け加えると、相手の話は聞いてはいけない。一方的に自分の言いたいことだけしゃべりまくる。
古田 韓国語に「声討」という言葉があるんですよ。声で討つ。
櫻井 やはり怒鳴ることが効果的ですか。
関川 いやいや、櫻井さんは声が小さければ小さいほどみんなが耳を傾けるんですよ。私のように気の弱い者が怒鳴るしかない(笑)
ただ、先方が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないということは認識しておかないといけない。
古川 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ(笑)。当事者なのであまい詳しくはお話できないのですが、たとえば意見が対立しますね。日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかー!」と怒鳴る(笑)。
関川 「ない!」と答えてはいけないのですか(笑)。
古川 さらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
関川 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。
事実よりも自分の願望と言うか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。
古川 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、
矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。
櫻井 それは、韓国の大学の歴史研究者ですか。
古川 イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。
要するに、「自分(韓国人)が絶対に正しい」というところからすべてが始まる。しかし、実はこの「自分が正しい」という命題は実証不可能なんです。この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想に他なりません。その本質は何かといえば、「自己絶対主義」にほかならない。したがって、何をやろうと、彼らの 「正義」は揺らがないのです。
「自分が世界の中心にあり、最も道徳的に優れている」とするのが、中華思想です。韓国、北朝鮮、中国、それぞれ独自の中華思想を持っている。そして、この「自己絶対主義」の論理をたどっていくと、彼らの社会構造の根幹をなす「宗族」に行き着く。「宗族」というのは、文献上で遡れる自分の先祖に連なる一族 のことで、要するに「血族」です。彼らの言う「道徳」とは、この宗族の中だけの道徳であり、正義ですから、宗族以外の人間には何をしても構わない。他の宗 族と墓争いをすると、相手の墓を暴き、遺骨から何から全て焼き尽くして、その上に自分の一族の墓を平気で建てる。こうした例が、李朝時代の記録には非常に 克明に記されています。
櫻井 靖国参拝に関する論議のおおもとにも、そうした他者に対する倫理観の違いがありますね。
関川 まさにそうです。自分の祖霊だけが大事で、相手の霊魂などまったく考慮しない。いわんや他国の神社の霊においてをや、です。儒教もまた、この宗族の論理と支えあう論理なのです。(略)
_____________________
…それにしても学者ですら事実より願望を優先するとはビックリです
昔は世界の三分の二が植民地だったこともある。弱い国が侵略されるのは当たり前の時代だった。
侵略された国は、宗主国と今でも揉めているだろうか?
奴隷にされたアフリカ人が欧米に賠償を求めたり、子供に歪曲した歴史教育をしているだろうか?
「特亜とは民度が違う、ガーナ大統領の発言」
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33726418.html
このリンク先に見るように、そんなことをしているのは特定アジア三国だけ。
ここまで読んでまだ「まずは率先して自国の非を認めることが大事な一歩」と考える日本人はいるだろう。
今まで謝罪と賠償をして関係が良くなったことはないし、それどころか誤解され悪化しているのに!
日本人として自分の基準とする善悪や価値観や解決方法が捨てられないのだろうか。「善意」だけにやっかいだ。
ここに断言する。
韓国人は、日本が謝罪と賠償をしたぐらいでは、絶対に許す事はない!
彼らは「首相が変わるたびに言うことが違うから信用できない!」と言っている。
というのは韓国の場合、とても徹底していて、日本擁護の本を出せば発禁になる。
そして親日家は財産没収され、 真実を話すだけで売国奴として袋叩きにあう。
つまり日本に対してそのレベルの謝罪を求めているのだ。
しかしたとえ日本人が一億総懺悔し、韓国人の悪口言った人を逮捕し、韓国を非難する本を焚書にしても、
「恨」という国民性もあり、永遠に許すことはない。
次から次へと難癖つけて、たかられるだけ。
南京大虐殺問題しかり、慰安婦問題しかり、竹島問題しかり。
そもそも「日帝36年の恨み」と言うなら、漢民族による朝鮮人への2000年の抑圧の歴史に対して何も言わないのはおかしい。
近年を例に出すと、朝鮮戦争で朝鮮人が100万人死んだ。
中国の介入があった事が一因だと言われる。
そのことに対して、92年に韓国と中国の国交正常化で江沢民が韓国に来た時、
韓国マスコミが江沢民に「謝罪しろ」と迫った。
それに対して江沢民は「その時はその時の事情があった」とかわした。
その後、韓国人は何も言わない。メディアも取り上げない。
このように日本に対する非難はいつまでもやるけど、宗主国に対する批判は何にもしない。
この違いは何か。
「毅然とはねつける」と「すぐペコペコ謝罪して金を出す」の違いではないか。
誤解を解く努力をせずに、事勿れで問題を先送りにし、いらぬ配慮をしているから、今日に至るまで日本国の国益を大きく損ね続けているのだと思う。
その上、金に困ると日本にすり寄って来る。
韓国は東アジア金融危機(1998年~)の際に日本から83億5千万ドルを借りましたがまだ返していない。
そんな人道的支援をしたとしても、反応はこうだ ↓
「韓国が厳しい時、日本が最も遅く外貨融通」「日本は出し惜しみをしている」
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33726491.html
日本が韓国に金を出して当たり前なのだ。
感謝なんかされない。エラそうにふんぞり返るだけ。
それに叩けば金を出すのだから、こんなちょろい相手はいないだろう。
さらに李明博大統領も「日本のカネで北朝鮮の支援を」と期待している。
工事中
中国の日本に対する態度もこんなだし↓
「日本は押すと引く国である。押す時に口実として歴史認識を使うのが有効だ。
日本は自分が悪かったと思っている。自国の歴史を知らない国民なのだ」by江沢民
このようにすでにユスリタカリに遭っている日本ですが、
それでもまだ「日本は道義的に謝罪した方がいい」考える人はこちらをご覧下さい。
「日本の謝罪などいらない」韓国保守派の嘆きと憤慨
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33726552.html
「韓国はなぜ反日か」
http://peachy.xii.jp/korea/
日本人がいかにウブでお人好しでカモにされているか解る。
まるで「謝罪したがる日本人」と「屈服させたい隣国」のSMの関係のよう。
あるときは企業の不祥事にお偉方が土下座をし、またあるときは著名人の子どものスキャンダルに、当の親が泣いて謝る。政財界から芸能界まで不祥事・スキャンダルは尽きることなく、何か騒動があるごとに謝罪会見が開かれる。
しかし、それらの中にはあまりにしらじらしいものが多く、あの謝罪を真に受けている人など存在するのだろうか。
10年間以上も新聞に掲載された謝罪会見記事を収集し続け、それらをまとめた著書『マッド・アマノの「謝罪の品格」』(平凡社新書)を持つパロディストのマッド・アマノ氏はこう話す。
「謝罪会見はもう、パフォーマンスになって形骸化しているよね。最近は企業の危機管理もしっかりしているし、謝罪会見もあらかじめ決められた通りやっている。2007年に原発の臨界事故隠ぺいが発覚した東京電力の会見なんて、お辞儀のときに、前列と後列に座った幹部が、きれいにタイミング合わせてお辞儀したもん。ありゃ、かなり予行演習したんだろうね(笑)」
船場吉兆やミートホープなど、つたなさゆえに個性的な記者会見もあったが、基本的に通り一遍の文句を述べて頭を下げる会見など、どれも似たり寄ったり。そもそも、「世間の皆様をお騒がせして......」「多くの方々にご迷惑を......」などと、メディアを通じて不特定多数に向けて謝罪すること自体、パフォーマンス以外の何ものでもない。しかしそれでも謝罪会見を望む人がいるのが不思議である。
「それは、謝罪が日本の文化だから。何かあったらまず謝罪をするっていうコンセンサスが、日本社会では出来上がっている。まだ原因調査すらやってないのに『とりあえず謝れ』と思う人がいて、『とりあえず謝っとけ』と思う人がいる。海外じゃ絶対考えられないよ」
しかも、日本社会におけるこの「とりあえず謝罪」文化は、事件の真相解明の妨げにもなっていると同氏は指摘する。例えば、薬害エイズの原因を作ったとされるミドリ十字は、96年にHIV訴訟原告らに第2次和解案の受け入れを表明し、記者会見で土下座までしたが、その後の裁判では一転して無罪を主張している。これでは、何に対する土下座だったのかまったくわからない。
「謝罪会見というのは目くらましみたいなもの。とりあえず謝っておかないと、マスコミはいつまでも追ってくるから。朝青龍が06年に夏場所を休んでモンゴルに帰っているとき、サッカーをやって問題になったけど、あの報道の盛り上がりぶりなんて、『いつまで続くの?』ってほどだったでしょ。朝青龍本人としては、モンゴル政府と中田(英寿)に頼まれたから参加してあげただけなのに、なんで謝罪会見なんてしなきゃいかんのって思っただろうけどね」
また、朝青龍の件のように事件ともいえないようなことと、人命にかかわるような大事件を同じウェイトで報道し、同じように謝罪をさせようとするマスコミの姿勢にも問題があると同氏は指摘する。
「ジャーナリズムの仕事ってのは、謝罪会見を冷やかすことじゃなくて、事件の背後にある隠れた事実を公にすることでしょ。会見は、事件の背後にある利害関係や、さらに隠さなきゃいけない重大事件が裏にあるときに、とりあえずその場で謝る人にマズいことを全部押しつけて、トカゲの尻尾切りみたいにやることも多い。例えば、ミドリ十字の事件のときに安部英という医師がスケープゴートにされたけど、その裏には中曽根(康弘)や当時の厚生省と米国の製薬会社の癒着など、さまざまな利害関係が絡んでいたのは明らか。でも、民衆の目はミドリ十字と悪人顔の医師に向けられるわけ。これはマスコミの責任も大きいよ」
マスコミを含め、利害関係が複雑に交錯する中では、謝罪会見は真相をかえって靄に包んでしまう装置になってしまっているのかもしれない。
「すべてを合理的にやるのは日本人の文化じゃないし、それが日本の良いところでもある。でも謝罪は曖昧じゃ駄目。謝るべき事実があって、それを調査して事実を伝える。それから謝罪するからこそ意味がある。だから、突っ込みどころ満載の調査しかしてないような『とりあえず謝罪』会見なんて、やらなきゃいいんだよ」
まず情に訴えようとする謝罪会見をよしとせず、その背後にあるものを見ようとする人が増えれば、スキャンダル発生時の対応もいずれは変わってくるのかもしれない。とはいえ、振り返ってみれば各方面に「とりあえず謝罪」ばかりをしている気がする自分には、耳が痛い話です......。
http://www.cyzo.com/2009/09/post_2603.html
(文=テルイコウスケ/「サイゾー」9月号より)
<中国人が見た日本>トヨタよ、なぜ謝る必要があるのだ?=日本人と中国人の集団意識
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=40865
2010年3月24日、作家・陳希我(チェン・シーウォー)氏はブログで「トヨタよ、なぜ謝る必要があるのだ?」を発表した。以下はその抄訳。
トヨタ自動車の豊田章男社長は米公聴会に出席した後、中国・北京を訪問。リコール問題について謝罪した。責任を負おうという姿勢を見せたのだ。この点は我々中国人とは全く異なる。中国人は何か問題があれば、まずは誰かのせいにしようと思うからだ。言い訳ばかりするダメ学生のようなものだ。
先日、米メディアはトヨタの今日の苦境が米自動車メーカーが10年がかりで取り組んだ「陰謀」だと伝えた。「国家機密」級の陰謀まで報道するとは米国の透明性は恐ろしいほどだ。さて、「陰謀」と知った日本人は大喜びしているに違いないと思ったが、日本の報道を見ると、これまで同様、自国企業のトヨタを批判している。
日本は集団意識が強い国と言われる。ましてやトヨタは国家経済の牽引車ではないか。しかし日本人の集団意識とはむやみにかばうことではなく、批判し本当の意味での責任を負わせることなのだ。
ひるがえって中国人はというと、孫文が「ばらばらの砂だ」と表現したように集団意識が欠けているといわれるが、しかしある時には日本人以上に集団的であるようにも思える。海外に批判され、団結して立ち向かう時がそうだ。しかし、各人の心理はというと、自分も他人も同じ不満を抱えているので一時共闘するだけ。外敵がいなくなれば、すぐにお互い殴りあいを始める。人と対立する気性が骨髄にまでしみこんでいるのだ。これのどこが愛国と言えるだろうか。いわゆる愛国とはつまり権力の謀略、一般市民の責任を負わない態度でしかない。(翻訳・編集/KT)
かつて坂井三郎という海軍の戦闘機乗りがいました。
彼は撃墜王と呼ばれ、アメリカ軍にも名が知れ渡っていました。
そんな彼はある日世界中の名パイロットを集めたゴルフ大会を開催するという事でハワイに招待されたそうです。
ゼロ+ハワイというとアメリカ人としては日本人の原爆並みのトラウマですよね。
でも彼はハワイで航空学校に招待されてセスナに乗れって言われたそうで
その航空学校に到着したとたん、学生といわず教官といわず
サムライ!サインくれとせがまれてもみくちゃになったそうです。
そして今度はセスナ2機で遊覧飛行。
途中操縦桿を握ってくれと教官に頼まれ齢六十過ぎとは思えない軽快な操作で
相手機の背後に隠れる射撃体勢を取って、教官がまた感激したそうです。
そして今度はアメリカの古い戦闘機を集めた博物館に招待された時のことですが
ここは飛行可能な大戦機を置いてるんですが、Zeroのコクピットに座ってくれとせがまれたり、当時の米海軍パイロットに囲まれたりと人気者だったそうです。
その中の1人が、
「戦記を確認したんだが、あの時あの場所で君に撃ち落されたのは僕なんだ、覚えてるかい? 」
と聞くと坂井氏もしっかり覚えていたらしく、その場で謝ったけども
「謝るなよ、あれは戦争だったんだ。
おかげで俺たちはこうやって知り合えたんだ。
今は同じ生き延びた仲間なんだからそれで良いじゃないか」
_____________________________
手強い相手には勝敗に関係なくそれなりの評価をするというのが、アメリカの通念のようだ。イギリスも同じ。
敵を決して侮らず、畏敬の念を抱き、優れた兵士とみなす。
「アーロン収容所」の中にこんな話がある。
捕虜になった日本の将校が英軍中尉に言った。
「日本が戦争を起こしたのは申し訳ないことであった。これからは仲良くしたい」
すると英軍中尉は、
「君は奴隷か?君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。
負けたらすぐ勝者のご機嫌をとるのか?そういう人は奴隷であってサムライではない。
我々は多くの戦友をこのビルマで失った。私は彼らが奴隷と戦って死んだとは思いたくない。
私たちは日本のサムライ達と戦って勝ったことを誇りに思っているのだ!」
「アメリカでのことだが、
韓国の留学生が日本の植民地支配、非人道的行為を口を極めて告発したら、
日本の女子学生は『全然知らなかった、ごめんなさい』と泣いてあやまり、
アメリカ人から見て異様だったという」(道上尚史『日本外交官韓国奮闘記』)
本当に異様です!
だってアメリカ人の感覚ではこう↓です。(以下マイミクさんの話から)
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何年か前の夏、戦争に関するドキュメンタリーがテレビでたまたまやっていたので見ていたら、原爆投下に関わった当時の研究者だか軍人だかを広島に連れてきて被爆者と対面させ、謝らせようという世にも恐ろしい番組だった。
お歳を召した男女が涙ながらに被爆体験を話して聞かせ、さあ謝ってくれとその米人に詰め寄ると、
「謝らない。私だって多くの友人をあの戦争で失ったんだ。」
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アメリカの教科書では、原爆の事だけでなく、インディアンの大量虐殺やハワイやフィリピンの略奪のことは殆ど触れられていない。
韓国人もベトナム戦争の目的を「世界平和の維持」と言い、貢献したと思っている。
どこの国でも、反省は必要だが、国益と自国民の尊厳を守り卑屈化を防ぐため
自国の非を隠そうとするのは、個人の場合と同様であり当然のこと。
日本人は自分が悪くなくても相手を不機嫌にした事に対してとりあえず謝るのが習慣だし、「謝ったら許される」という甘えがある。
一方、韓国では、相手の立場を少しでも立てたり、自己反省したりすることは、
一族末代までの恥として絶対に許されない文化。
日本人は「昔の日本人がしたことで今の私とは関係ない」「死んだら皆仏様」と思うかもしれないが、
韓国には「親の罪 は子も背負う」という価値観が強い。
だから一度抱いた「恨」は解消することなく、一生どころか末代まで祟る。
実は、韓国の「恨」という言葉に深い意味が込められている。
長い間中国の属国だったことが朝鮮民族のそういう民族性を作り出したのだ。
それは「恨む」とかいう日本語で直訳できるものではなくて「自分の思いがあっても決してそれをさせない周囲の環境が自己を責めたり他者を責めたり泣いたりわめいたりどうにもならない鬱屈したものが常に民族的記憶として刻み込まれている状態」だそうだ。
中国にロシアに日本にとしょっちゅう攻め込まれて蹂躙されてればそういう性質になっても仕方が無い。
そして今、韓国は反日を国是としており、
日本人に対する憎しみを募らせるよう強烈な反日教育までしている点が問題だ。
韓国の小中学校で行われている反日教育
http://
内容は被害妄想に凝り固まっており事実を捉えようとしてない。
反日がプライドの支えになっているので、反日がなければ韓国人は生きていけないのだ。
だからこちらが事実に基づいた主張をしても韓国人には通じない。
竹島が日本の領土である証拠を見せても目を背ける。
なぜなら竹島は愛国の象徴だから真実がバレたら困るのだ。
そういった民族性や事情を理解した上で付き合っていかねばならない。
昔から、いずれの国も非を暴くのは外国人と相場は決まっている。
それに対して日本では、日本の左翼メディアや一部の学者のように、外国人でもあるまいに、正義と良心の権化となり、教科書問題や南京事件に見るのごとく、自国の非を言いつのっている。
あえて、歴史の暗部や日本人の悪い部分に食らいつき、焦点を当てたがる。
外交上不利になるようなことは、自国民自身が言ってはならないことなのに。
ある外国人の発言。
「日本のマスコミは自国の誇りに思えることは報道しないのに、
自国の恥となることを積極的に報道するのが不思議だ」
こちらの謝罪により相手が胸のすく思いをするだろうが、
そんなのは隣国への迎合と媚びへつらいと世辞以外の何物でもない。
日本人はケンカや主張が苦手だが、世界では対立が当たり前。毅然と反論するべき。
以下はその時代を生きた人の説得力のある証言。ここから引用
「日本の韓国統治は公平だったと聞いた」by石原知事 (09年4月16日asahi.com)
英国人記者から「知事は日本の朝鮮半島への行為を矮小化しているため開催地に選ばれるべきではないという、韓国での報道を知っているか」と問われ、
「ヨーロッパの国によるアジアの植民地統治に比べ、
日本の統治は公平だったと朴大統領(韓国元大統領)から聞いた」と述べた。
石原知事は「日本の韓国の統治がすべて正しかったと言った覚えはまったくない」としたうえで、「日本のやったことはむしろ非常に優しくて公平なものだったということをじかに聞いた」と述べた。
この韓国の報道というのは、完全に現大統領の体制下での日本=悪という大嘘史観に凝り固まった発想から出ています。
その背景には、日本の朝鮮統治は、苛酷で無慈悲なものであったという捏造した歴史観がある。
ところが石原知事は、たったひとことでこの捏造史観をひっくりかえしてしまいました。
「日本が韓国にしたことは非常に優しくて公平だったと、韓国の 朴正煕元大統領から聞いたよ」(笑)
朴元大統領といえば、1961年から1979年に暗殺されるまで、実に18年間にわたって韓国の大統領その他の最高位にあった人物であり、戦後の大韓民国(韓国)復興の第一人者です。
朴元大統領がいなければ、漢江の奇跡と呼ばれる戦後韓国の経済成長は実現しなかった。
その朴元大統領の現役時代、福田赳夫首相が韓国を訪問した。
酒席において日韓の閣僚たちが日本語で会話をしている最中、韓国側のとある高官が過去の日本による植民地統治を批判する旨の発言を始めた。
このとき朴大統領は、
「(自分は)日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。
自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。
すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。
さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。
卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。
日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している」
と語り、批判的発言をした韓国高官をたしなめた。
石原知事の発言は、このときの模様を語ったまごうことなき事実です。
そして、朴元大統領の言葉は、大統領自身の実体験から出ている言葉でもあります。
朴正煕は、日本統治下の朝鮮の慶尚北道善山郡亀尾(現在の亀尾市)で、貧しい農村部家庭の5男2女の末子として生まれました。
父親は科挙に合格したが、日本によって韓国が併合された後に没落し、墓守をしていた。
小学生の頃は、学校に弁当を持って行けないほど生活は苦しく、後世、酒に酔うたびに友人や側近に「俺は本当の貧しさを知っている」と語っていたといいます。
家が貧しいうえに病弱だったけれど、朴氏は猛勉強をして、亀尾小学校を首席で卒業。
大邱師範学校を卒業し、慶北聞慶国民学校で3年間教師をした後、日本国籍のまま満州国軍の新京軍官学校で学び、同校を首席で卒業した。
そして優秀な成績のため、特に選ばれて日本の陸軍士官学校に留学しています。
そして日本の陸軍士官学校を3位の成績で卒業(57期)し、終戦時は満州国軍中尉となっていました。
そして1961年、僅かな人数で「軍事革命委員会」を名乗り、反共親米、腐敗と旧悪の一掃、経済再建などを決起の理由として軍事クーデターを起こします(5・16軍事クーデター)。
そしてその2年後に韓国大統領となり、1965年に日韓基本条約を締結。日本との国交を回復します。
日韓基本条約は過去の植民地支配を清算するものでなく、僅かばかりの金で国を売るものであるとして、民主化活動家の大学生に市民も加わった韓国民と野党議員たちの激しい抵抗があった。
日本国内でも、条約に基づく巨額の資金提供は独裁政権を利するとして共産主義者からの反対があり、大学生を中心に大々的な反対運動が展開されていた。
しかし朴大統領は、日韓基本条約を強行。このとき日本から得た資金で、経済開発院を設立。
日本の八幡製鐵所をモデルとした浦項製鉄所を築き、石油化学工場建設を急がせた。
そうして1961年には国民1人あたりの所得が僅か80ドルという世界最貧国圏から、1979年には1620ドルへと、在任中の僅か18年の間に、国民所得を約20倍も跳ね上げた。
これが、世にいう「漢江の奇跡」です。
要するに、朴大統領がいず、日韓基本条約の締結も生まれていなければ、漢江の奇跡はなく、韓国はいまだに世界の最貧国であった。
朴大統領に反発し、日韓基本条約締結に反対したのは、韓国の民族主義者や日本の共産主義者、社会主義者らなのだけど、彼らの言うことを聞いていたら、韓国はおそらく今でも北朝鮮と経済力の変わらない、世界の最貧国のままであった。
経済成長ばかりが良いこととはいえないという反論もあるだろうけれど、誰だって、貧しいよりは、少しでも豊かな方がいいし、飢えに苦しむよりは、3度の飯をちゃんと食べれる生活の方がありがたい。
そして韓国が豊かになったのも、北のように民衆が飢えに苦しまずに済んでいるのも、朴大統領による日韓基本条約の締結があったからであり、その朴大統領自身が、高い知性と教育を受けることができたのは、日本統治の公平性があったから、という事実を知ることができます。
そういう歴史的事実を冷静に検証すれば、「日本統治を矮小化している」等の今回の韓国内の報道は、単にコミュニスト(共産主義者・社会主義者)の世間を謀る薄汚い嘘いつわりにすぎないということがわかる。
そしてコミュニストの陰謀が、いかに東亜の平和と安定と庶民生活の向上を阻害しているか。ここまで(引用元不明)
国際社会では嘘でも強く主張されたものが正しいと判断される場合も多々ある。
「相手を立てる」「他国の事をアレコレ言わない」「まずは自分の反省が先」という日本特有の謙虚さも 国際社会では足を引っ張る結果になるので、その価値観が通用する相手だけにすべき。
やはり言うべき時にははっきりとモノを言う日本にならなければならない。
石原知事の今回の発言は、そんなことを見事に体現してくれたものだと思います。
以下にもう一度歴史のおさらい
当時、植民地政策は「善」であった。
強引に併合したのではなく、当時の流れとしては自然であったし、国際的にも承認されていて、「侵略」というイメージとはほど遠いものであった。
帝国主義欧米諸国がしたような搾取と略奪だけ、という侵略ではなかった。
西欧列強の植民地政策「搾取」に対し日本のそれは「同化」。
「同化」政策は、当時としては多国の植民地政策に比して進んだ政策であった。
国全体の経済発展と民間人の生活を向上させた。
確かに差別もあったろうが。
もともと、李朝500年にわたる両班階級による圧政により、農民は搾取と略奪されていて、人口も下降線をたどっていた。
「働くことは卑しい事」という価値観がはびこっており、
科挙試験に合格した官僚たちが生産的勤労には絶対に就かないばかりか、儒教による空理空論をふりかざすばかり。
近代化のためには海外留学の必要があるのに、儒教・朱子学に固執するだけで、海外に学ぶことを奨励するようなことはなかった。
国家や政府としての役割を果たすこともなく、官僚は売官買職に奔走するありさまであった。
もちろんインフラ整備などには関心はなく、国政紊乱状態で、経済観念もなく、末期には財政も破綻していたので、自主的な近代化などあるはずもなかった。
朝鮮では道路や橋はクーデターに利用されるという恐れを考えて、整備されておらず、あぜ道程度のものばかりだったので、経済活動が成立するはずもなかった。
併合前
農民は両班によって搾取されておりとても貧しかったが、日本人の指導で耕地面積も増えた。
品種改良によって収穫量も倍増。 人口も32年でほぼ倍に。
日本人の多額の税金を使いインフラ整備し、
教育水準を上げ、一般市民にハングルを普及させ、
一部特権階級以外ほとんど乞食同然の状態から、近代化を成し遂げた。
ロシアか清に侵略されていたら、利権を得ることはあっても朝鮮のためになることは何一つしなかっただろう。
併合後
「韓流“自己絶対正義”の心理構造」 (『諸君!』 06年4月号より一部抜粋)
櫻井よしこ/関川夏央(作家)/古田博司(筑波大学大学院教授)
櫻井 「日中韓『靖国参拝』大論争」(文芸春秋2005年8月号)のときにも感じたのですが、韓国の人たちは都合の悪いところ、自分にとって弱いところを突かれると答えようとしない。そして、まったく別のところに話題をポンと変えて、また怒りだす。
関川 そうして、自分で自分を徐々に激昂させながら、涙と汗の反日に話を運んでいく傾向がありますけれど、いまだそういうテクニックは有効なのでしょうか。
櫻井 以前、呉善花さんと話していたら、「櫻井さん、あなたの話し方では絶対ダメよ」と言われました。「とにかく相手より大きな声と尊大な態度、相手より大げさな形容詞と身振り手振りで非難しないと、韓国では論争に勝てない」と(笑)。
関川 もうひとつ付け加えると、相手の話は聞いてはいけない。一方的に自分の言いたいことだけしゃべりまくる。
古田 韓国語に「声討」という言葉があるんですよ。声で討つ。
櫻井 やはり怒鳴ることが効果的ですか。
関川 いやいや、櫻井さんは声が小さければ小さいほどみんなが耳を傾けるんですよ。私のように気の弱い者が怒鳴るしかない(笑)
ただ、先方が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないということは認識しておかないといけない。
古川 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ(笑)。当事者なのであまい詳しくはお話できないのですが、たとえば意見が対立しますね。日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかー!」と怒鳴る(笑)。
関川 「ない!」と答えてはいけないのですか(笑)。
古川 さらに「資料を見てくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。
関川 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。
事実よりも自分の願望と言うか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。
古川 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、
矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。
櫻井 それは、韓国の大学の歴史研究者ですか。
古川 イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。
要するに、「自分(韓国人)が絶対に正しい」というところからすべてが始まる。しかし、実はこの「自分が正しい」という命題は実証不可能なんです。この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想に他なりません。その本質は何かといえば、「自己絶対主義」にほかならない。したがって、何をやろうと、彼らの 「正義」は揺らがないのです。
「自分が世界の中心にあり、最も道徳的に優れている」とするのが、中華思想です。韓国、北朝鮮、中国、それぞれ独自の中華思想を持っている。そして、この「自己絶対主義」の論理をたどっていくと、彼らの社会構造の根幹をなす「宗族」に行き着く。「宗族」というのは、文献上で遡れる自分の先祖に連なる一族 のことで、要するに「血族」です。彼らの言う「道徳」とは、この宗族の中だけの道徳であり、正義ですから、宗族以外の人間には何をしても構わない。他の宗 族と墓争いをすると、相手の墓を暴き、遺骨から何から全て焼き尽くして、その上に自分の一族の墓を平気で建てる。こうした例が、李朝時代の記録には非常に 克明に記されています。
櫻井 靖国参拝に関する論議のおおもとにも、そうした他者に対する倫理観の違いがありますね。
関川 まさにそうです。自分の祖霊だけが大事で、相手の霊魂などまったく考慮しない。いわんや他国の神社の霊においてをや、です。儒教もまた、この宗族の論理と支えあう論理なのです。(略)
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…それにしても学者ですら事実より願望を優先するとはビックリです
昔は世界の三分の二が植民地だったこともある。弱い国が侵略されるのは当たり前の時代だった。
侵略された国は、宗主国と今でも揉めているだろうか?
奴隷にされたアフリカ人が欧米に賠償を求めたり、子供に歪曲した歴史教育をしているだろうか?
「特亜とは民度が違う、ガーナ大統領の発言」
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33726418.html
このリンク先に見るように、そんなことをしているのは特定アジア三国だけ。
ここまで読んでまだ「まずは率先して自国の非を認めることが大事な一歩」と考える日本人はいるだろう。
今まで謝罪と賠償をして関係が良くなったことはないし、それどころか誤解され悪化しているのに!
日本人として自分の基準とする善悪や価値観や解決方法が捨てられないのだろうか。「善意」だけにやっかいだ。
ここに断言する。
韓国人は、日本が謝罪と賠償をしたぐらいでは、絶対に許す事はない!
彼らは「首相が変わるたびに言うことが違うから信用できない!」と言っている。
というのは韓国の場合、とても徹底していて、日本擁護の本を出せば発禁になる。
そして親日家は財産没収され、 真実を話すだけで売国奴として袋叩きにあう。
つまり日本に対してそのレベルの謝罪を求めているのだ。
しかしたとえ日本人が一億総懺悔し、韓国人の悪口言った人を逮捕し、韓国を非難する本を焚書にしても、
「恨」という国民性もあり、永遠に許すことはない。
次から次へと難癖つけて、たかられるだけ。
南京大虐殺問題しかり、慰安婦問題しかり、竹島問題しかり。
そもそも「日帝36年の恨み」と言うなら、漢民族による朝鮮人への2000年の抑圧の歴史に対して何も言わないのはおかしい。
近年を例に出すと、朝鮮戦争で朝鮮人が100万人死んだ。
中国の介入があった事が一因だと言われる。
そのことに対して、92年に韓国と中国の国交正常化で江沢民が韓国に来た時、
韓国マスコミが江沢民に「謝罪しろ」と迫った。
それに対して江沢民は「その時はその時の事情があった」とかわした。
その後、韓国人は何も言わない。メディアも取り上げない。
拷問問題…中国は言い逃れ、韓国政府はぐずぐず対応
http://japanes e.joins .com/ar ticle/6 67/1566 67.html ?servco de=A00& sectcod e=A30
>中国政府のずるずると引き延ばす「知らんぷり」には対抗できないというのが専門家らの指摘だ。国際社会に公論化するなど対応レベルを高め強く圧迫しなければ真実攻防でうやむやになりやすいという意味だ。例えば韓国政府は先月12~14日に中国の孟建柱公安部長が訪韓した際に拷問を争点化しなかった。和気あいあいとした外交的な言葉が行き来したが残酷な拷問の事実を暴こうとする努力はなかったという。
このように日本に対する非難はいつまでもやるけど、宗主国に対する批判は何にもしない。
この違いは何か。
「毅然とはねつける」と「すぐペコペコ謝罪して金を出す」の違いではないか。
誤解を解く努力をせずに、事勿れで問題を先送りにし、いらぬ配慮をしているから、今日に至るまで日本国の国益を大きく損ね続けているのだと思う。
その上、金に困ると日本にすり寄って来る。
韓国は東アジア金融危機(1998年~)の際に日本から83億5千万ドルを借りましたがまだ返していない。
そんな人道的支援をしたとしても、反応はこうだ ↓
「韓国が厳しい時、日本が最も遅く外貨融通」「日本は出し惜しみをしている」
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33726491.html
日本が韓国に金を出して当たり前なのだ。
感謝なんかされない。エラそうにふんぞり返るだけ。
それに叩けば金を出すのだから、こんなちょろい相手はいないだろう。
さらに李明博大統領も「日本のカネで北朝鮮の支援を」と期待している。
工事中
中国の日本に対する態度もこんなだし↓
「日本は押すと引く国である。押す時に口実として歴史認識を使うのが有効だ。
日本は自分が悪かったと思っている。自国の歴史を知らない国民なのだ」by江沢民
このようにすでにユスリタカリに遭っている日本ですが、
それでもまだ「日本は道義的に謝罪した方がいい」考える人はこちらをご覧下さい。
「日本の謝罪などいらない」韓国保守派の嘆きと憤慨
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/33726552.html
「韓国はなぜ反日か」
http://
日本人がいかにウブでお人好しでカモにされているか解る。
まるで「謝罪したがる日本人」と「屈服させたい隣国」のSMの関係のよう。
しかし、それらの中にはあまりにしらじらしいものが多く、あの謝罪を真に受けている人など存在するのだろうか。
10年間以上も新聞に掲載された謝罪会見記事を収集し続け、それらをまとめた著書『マッド・アマノの「謝罪の品格」』(平凡社新書)を持つパロディストのマッド・アマノ氏はこう話す。
「謝罪会見はもう、パフォーマンスになって形骸化しているよね。最近は企業の危機管理もしっかりしているし、謝罪会見もあらかじめ決められた通りやっている。2007年に原発の臨界事故隠ぺいが発覚した東京電力の会見なんて、お辞儀のときに、前列と後列に座った幹部が、きれいにタイミング合わせてお辞儀したもん。ありゃ、かなり予行演習したんだろうね(笑)」
船場吉兆やミートホープなど、つたなさゆえに個性的な記者会見もあったが、基本的に通り一遍の文句を述べて頭を下げる会見など、どれも似たり寄ったり。そもそも、「世間の皆様をお騒がせして......」「多くの方々にご迷惑を......」などと、メディアを通じて不特定多数に向けて謝罪すること自体、パフォーマンス以外の何ものでもない。しかしそれでも謝罪会見を望む人がいるのが不思議である。
「それは、謝罪が日本の文化だから。何かあったらまず謝罪をするっていうコンセンサスが、日本社会では出来上がっている。まだ原因調査すらやってないのに『とりあえず謝れ』と思う人がいて、『とりあえず謝っとけ』と思う人がいる。海外じゃ絶対考えられないよ」
しかも、日本社会におけるこの「とりあえず謝罪」文化は、事件の真相解明の妨げにもなっていると同氏は指摘する。例えば、薬害エイズの原因を作ったとされるミドリ十字は、96年にHIV訴訟原告らに第2次和解案の受け入れを表明し、記者会見で土下座までしたが、その後の裁判では一転して無罪を主張している。これでは、何に対する土下座だったのかまったくわからない。
「謝罪会見というのは目くらましみたいなもの。とりあえず謝っておかないと、マスコミはいつまでも追ってくるから。朝青龍が06年に夏場所を休んでモンゴルに帰っているとき、サッカーをやって問題になったけど、あの報道の盛り上がりぶりなんて、『いつまで続くの?』ってほどだったでしょ。朝青龍本人としては、モンゴル政府と中田(英寿)に頼まれたから参加してあげただけなのに、なんで謝罪会見なんてしなきゃいかんのって思っただろうけどね」
また、朝青龍の件のように事件ともいえないようなことと、人命にかかわるような大事件を同じウェイトで報道し、同じように謝罪をさせようとするマスコミの姿勢にも問題があると同氏は指摘する。
「ジャーナリズムの仕事ってのは、謝罪会見を冷やかすことじゃなくて、事件の背後にある隠れた事実を公にすることでしょ。会見は、事件の背後にある利害関係や、さらに隠さなきゃいけない重大事件が裏にあるときに、とりあえずその場で謝る人にマズいことを全部押しつけて、トカゲの尻尾切りみたいにやることも多い。例えば、ミドリ十字の事件のときに安部英という医師がスケープゴートにされたけど、その裏には中曽根(康弘)や当時の厚生省と米国の製薬会社の癒着など、さまざまな利害関係が絡んでいたのは明らか。でも、民衆の目はミドリ十字と悪人顔の医師に向けられるわけ。これはマスコミの責任も大きいよ」
マスコミを含め、利害関係が複雑に交錯する中では、謝罪会見は真相をかえって靄に包んでしまう装置になってしまっているのかもしれない。
「すべてを合理的にやるのは日本人の文化じゃないし、それが日本の良いところでもある。でも謝罪は曖昧じゃ駄目。謝るべき事実があって、それを調査して事実を伝える。それから謝罪するからこそ意味がある。だから、突っ込みどころ満載の調査しかしてないような『とりあえず謝罪』会見なんて、やらなきゃいいんだよ」
まず情に訴えようとする謝罪会見をよしとせず、その背後にあるものを見ようとする人が増えれば、スキャンダル発生時の対応もいずれは変わってくるのかもしれない。とはいえ、振り返ってみれば各方面に「とりあえず謝罪」ばかりをしている気がする自分には、耳が痛い話です......。
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(文=テルイコウスケ/「サイゾー」9月号より)
<中国人が見た日本>トヨタよ、なぜ謝る必要があるのだ?=日本人と中国人の集団意識
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2010年3月24日、作家・陳希我(チェン・シーウォー)氏はブログで「トヨタよ、なぜ謝る必要があるのだ?」を発表した。以下はその抄訳。
トヨタ自動車の豊田章男社長は米公聴会に出席した後、中国・北京を訪問。リコール問題について謝罪した。責任を負おうという姿勢を見せたのだ。この点は我々中国人とは全く異なる。中国人は何か問題があれば、まずは誰かのせいにしようと思うからだ。言い訳ばかりするダメ学生のようなものだ。
先日、米メディアはトヨタの今日の苦境が米自動車メーカーが10年がかりで取り組んだ「陰謀」だと伝えた。「国家機密」級の陰謀まで報道するとは米国の透明性は恐ろしいほどだ。さて、「陰謀」と知った日本人は大喜びしているに違いないと思ったが、日本の報道を見ると、これまで同様、自国企業のトヨタを批判している。
日本は集団意識が強い国と言われる。ましてやトヨタは国家経済の牽引車ではないか。しかし日本人の集団意識とはむやみにかばうことではなく、批判し本当の意味での責任を負わせることなのだ。
ひるがえって中国人はというと、孫文が「ばらばらの砂だ」と表現したように集団意識が欠けているといわれるが、しかしある時には日本人以上に集団的であるようにも思える。海外に批判され、団結して立ち向かう時がそうだ。しかし、各人の心理はというと、自分も他人も同じ不満を抱えているので一時共闘するだけ。外敵がいなくなれば、すぐにお互い殴りあいを始める。人と対立する気性が骨髄にまでしみこんでいるのだ。これのどこが愛国と言えるだろうか。いわゆる愛国とはつまり権力の謀略、一般市民の責任を負わない態度でしかない。(翻訳・編集/KT)
かつて坂井三郎という海軍の戦闘機乗りがいました。
彼は撃墜王と呼ばれ、アメリカ軍にも名が知れ渡っていました。
そんな彼はある日世界中の名パイロットを集めたゴルフ大会を開催するという事でハワイに招待されたそうです。
ゼロ+ハワイというとアメリカ人としては日本人の原爆並みのトラウマですよね。
でも彼はハワイで航空学校に招待されてセスナに乗れって言われたそうで
その航空学校に到着したとたん、学生といわず教官といわず
サムライ!サインくれとせがまれてもみくちゃになったそうです。
そして今度はセスナ2機で遊覧飛行。
途中操縦桿を握ってくれと教官に頼まれ齢六十過ぎとは思えない軽快な操作で
相手機の背後に隠れる射撃体勢を取って、教官がまた感激したそうです。
そして今度はアメリカの古い戦闘機を集めた博物館に招待された時のことですが
ここは飛行可能な大戦機を置いてるんですが、Zeroのコクピットに座ってくれとせがまれたり、当時の米海軍パイロットに囲まれたりと人気者だったそうです。
その中の1人が、
「戦記を確認したんだが、あの時あの場所で君に撃ち落されたのは僕なんだ、覚えてるかい? 」
と聞くと坂井氏もしっかり覚えていたらしく、その場で謝ったけども
「謝るなよ、あれは戦争だったんだ。
おかげで俺たちはこうやって知り合えたんだ。
今は同じ生き延びた仲間なんだからそれで良いじゃないか」
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手強い相手には勝敗に関係なくそれなりの評価をするというのが、アメリカの通念のようだ。イギリスも同じ。
敵を決して侮らず、畏敬の念を抱き、優れた兵士とみなす。
「アーロン収容所」の中にこんな話がある。
捕虜になった日本の将校が英軍中尉に言った。
「日本が戦争を起こしたのは申し訳ないことであった。これからは仲良くしたい」
すると英軍中尉は、
「君は奴隷か?君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。
負けたらすぐ勝者のご機嫌をとるのか?そういう人は奴隷であってサムライではない。
我々は多くの戦友をこのビルマで失った。私は彼らが奴隷と戦って死んだとは思いたくない。
私たちは日本のサムライ達と戦って勝ったことを誇りに思っているのだ!」