「侵略戦争は日本の国益を損ねた」=防衛大学長が北京のフォーラムで―中国
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=855480&media_id=31
こうやって歴史を知らない日本人が簡単に謝罪しまくるから世界にどんどん誤解されていく。
「謝っている日本人もいるのだから事実なのだろう」と。
こういう日本人は中国人に「良心的日本人」と特別扱いされ「自分は他の日本人とは違う」と良い気になっちゃうんでしょうね。
そして、中共の手先として知らぬ間に操られるんですよ。
江沢民は98年5月に世界中にいる大使を呼び寄せてこう言った。
「日本に対して歴史問題を永遠につきつけていく!
日本をコントロールする方法は2つある。
一つはアメリカを介して影響を与える。二つ目は日本の国柄を利用することだ。
日本は押すと引く国である。押す時に口実として歴史認識を使うのが有効だ。日本は自分が悪かったと思っている。自国の歴史を知らない国民なのだ」
(中国で06年に発売された「江沢民文選」)
↑これは韓国も使う手法です。日本人の人の良さが結果として評判と国力を下げているのです。
正しい歴史認識を持ち、こちらに刃を向けてくる相手には優しさではなく、断固とした態度をとる必要があるのです。
このように、歴史を知らず無用な贖罪意識を持つ日本人は、隣国のユスリタカリのカモにされているのが現状です。
そもそも、中国人の国民性を前にして「事実を認め謝罪する」ということはあまり意味がありません。
マッカーサー元帥 は
昭和25年10月トルーマン大統領に対して「東京裁判は誤りであった」と 告白。
さらに昭和26年に米国上院において「日本がおこなった戦争は 正当防衛であり侵略戦争ではなかった」と公式に証言しています。
唯一覆らないのは植え付けられた日本人の 「日本だけが加害者」という自虐的歴史認識だけ。
「一つの民族を抹殺するには、その記憶を失わせる事である。
歴史を失わせた上で新しい歴史を与えれば良い。
そうすればその民族は自らの現状も過去も忘れてしまうだろう」
ミラン・クンデラ(名言集5)
戦後、米国は日本に対して、焚書や検閲等徹底的な洗脳工作を実施しました。
当時、日本は侵略される側の最後の砦で、本当の侵略国家は欧米だったのに、
日本がアジア各国を侵略したという話にガラリとすり替わってしまいました。
そして日本人に戦争への贖罪意識(無用な)を植え付け、 「国」に関心を持たせないようにし、危機意識も欠如させ、
歴史の記憶も書き換え、気骨も自尊心も愛国心も奪いました。
現在もその壮大な仕掛けは機能しており、 日教組・左翼政党・マスコミが自動的に偏向を煽動しつづけているのです。
自分の国を悪く言う歴史教育をやっているのは世界で日本だけです。
*********************
先の戦争の真実は、白人帝国主義(人種差別と植民地政策)国の勝利により歪曲されています。
祖父達は、戦争には負けましたが、欧米国の人種差別とアジア植民地化政策を粉砕するという戦争目的では勝利したのです。
アジア諸国は皆、日本の戦争により、白人帝国主義(欧米諸国)の植民地からの独立を果たしたのです。
敗戦国なるがゆえ、戦勝国に諂った政治政策により歪曲された歴史教科書などに惑わされてはならない。
<< タイ国元首相「ククリックド・プラモード氏.」の言葉 >>
「日本のおかげでアジアの諸国は全て独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、
生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、
いったい誰のおかげであるのか。
それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが
身を賭して重大決意をされた日である。
我々は、この日を忘れてはならない。」
(十二月八日、現地新聞「サイアム・ラット紙」)
<< インド元大統領「ラグ・クリシュナン氏」の言葉 >>
「インドは当時、イギリスの浮沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
それを、我々と同じ日本が見事に撃沈した。
驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。
(昭和四十四年「日本経済新聞」)
<< インドネシア元情報宣伝相「ブン・トモ氏」の言葉 >>
我々アジア・アフリカの有色民族は、
ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。
インドネシアの場合は三百五十年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の目の前で、
徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、
アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
一度もった自信は決して崩壊しない。
日本が敗北したとき、
「これからの独立は自力で遂行しなければならない。
独力でやれば五十年はかかる。」と思っていたが、
独立は意外にも早く勝ち取ることができた。」
<< インド極東国際軍事裁判判事「ラダ・ピノート・パール氏」 >>
「要するに彼等(欧米諸国)は、
日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、
自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、
日本の十七年間(昭和三年~二十年、東京裁判の審理期間)の一切を、
罪悪と烙印することが目的であったに違いない。
私は1928年から1945年までの十七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。
それを、私は判決文のなかに綴った。
その私の歴史を読めば、
欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。
それなのに、あなたがたは自分等の子弟に、
「日本は犯罪を犯したのだ。」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ。」と教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、
どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って卑屈、
荒廃に流されて行くのを、私は平然として、見過ごすわけにはゆかない。
あやまられた彼らの宣伝を払拭せよ。
あやまられた歴史は、書き換えなければならない。
(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)
<< 韓国 韓日文化研究所「朴 鉄柱氏」のことば >>
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、
敗れたのはむしろ
イギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼等はこの戦争で植民地を全て失ったではないか。
戦争に勝った、敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる。
というのは、クラウゼビッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり
日本の戦争こそ「聖なる戦争」であった。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってはこないが、
しかし彼等は英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、
国民尊崇対象となるのである。
(昭和四十二年十月)
<< イギリス歴史学者「ウエールズ氏」の言葉 >>
この大戦は植民地主義に終止符を打ち、
白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。
<< 米国ハワイ日本経済事務局長・政治学博士「ジョージ・S・カナヘレ氏」の言葉 >>
日本占領軍が、インドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、
最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、
それに訓練を与えたことである。
(中略)
インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。
これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり
復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。
日本によって与えられた、このような機会がなかったならば、
戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。
<< ビルマ元首相「バ・モウ氏」の言葉 >>
約五十年前、ビルマは三回にわたる対英戦争の結果、
その独立を失いえり、英国側はアジアに対する掠奪的野望をもって、
これらの戦争を遂行した。
愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流?、拷問およびしばしば
死を甘受して突進して行った、これらの英雄はビルマの生存のため、
苦難を受け遂には屍たり。
ビルマ人はアジアを結合させ、アジアを救う指導者を待望していたが遂に、 これを大日本帝国に発見した。
ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対し、
日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものである。
(ビルマ独立宣言より)
<< インドネシア共和国元首相「モハマッド・ナチール氏」の言葉>>
大東亜戦争というものは、
本来なら私達インドネシア人が独立のために戦うべき戦争だったと思います。
もしあのとき私達に軍事力があったなら、私達が植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争とは、そうゆう戦いだったんです。
<< イギリス歴史学者「アーノルド・J・トインビー氏」の言葉 >>
英国最新良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、
特別にセンセーションをおこす出来事であった。
それはまた、永続的な重要性をもつ出来事でもあった。
なぜなら、1840年のアヘン戦争以来、
東アジアにおける英国の力はこの地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本は全ての非西洋国民に対し西洋は無敵でないことを決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気の及ぼした恒久的な影響は
1667年のベトナム戦争に明らかである。
(昭和四十三年三月二十二日「毎日新聞」)
<< G・デザイ(印弁護士会会長) >>
インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩を忘れてはならない。
<< 仏ドゴール首相 >>
シンガポール陥落は、白人植民地主義の歴史に終焉をもたらした。
<< ラジャ・ダド・ノンチック(上院議員) >>
我々ら日本軍を歓迎で迎えた。日本は将来の我々のために
多くのものをもたらしてくれた。
我々は日本から学んだことは「国を守る術」だった。
<< 歴史家 「Z・アビディーン」 >>
日本軍政はマレー人の独立の種を撒き成長させた。
<< ゴー・チョクトン首相(シンガポール) >>
日本の統治は過酷なものだった。
しかし、日本軍により欧米の植民地支配は粉砕された。
これはアジアに自信をもたせた。
大戦後15年以内にアジアの植民地は全て開放された。
<< オン・サン(ビルマ独立の父) >>
日本の軍事訓練は厳しすぎた。何度か自殺を考えるほどだった。
しかし、ラン・グーンが落ちたとき、
我々は間違っていないことを確信した。
1948年8月1日 独立を宣言
しかし、日本軍の劣勢は彼等の決断をせまる。
独立維持の密約をイギリスから取り付けたオン・サンは、
日本からの離反を決意。
同士の説得を開始する。
<< ミン・オン(ビルマ義勇軍設立メンバー) >>
その判断は正しい。ビルマは生き残る術は他にない。
しかし・・・・・。私は日本を裏切ることはできない。
ミン・オンは離反を拒否し自決の道を選んだ。・・・・
終戦後、イギリスは密約を無視。再植民地化に乗り出すが
イギリスはそれが不可能であることを悟った。
日本とオン・サンらが育てた、ビルマ義勇軍10万が英に立ちはだかった。
1948年1月4日ビルマ完全独立、
式典にオン・サンの姿はなかった。
(47年7月暗殺 32歳)
<< 初代ビルマ首相 バ・モウ >>
「真の独立記念日は1948年1月4日ではない。
1943年8月3日だ。
独立の真の理解者は東條大将と大日本帝国だった。
<< M・ハッタ(インドネシア独立の父) >>
日本の戦いは8月15日に終わった。
我々の戦いは8月17日に始まった。
オランダは独立の腹いせに、多額の債務インドネシアに要求した。
これを、戦時賠償の形でかたがわりしたのが日本であった。
<< サン・パス復員軍人相 >>
戦争が終わったあと多くの日本人が帰らずに我々と戦ってくれた。
国軍墓地に葬り、勲章を贈った。
しかし、それだけではたりないものを、彼等は我々に与えてくれた。
<< アラ・ムジャ陸軍大将 >>
日本にはあと五年がんばってほしかった。
そうすれば中東とアフリカはもっと早く独立できたはずだ。
中東もアフリカもこんなに苦しまずにすんだはずだ。
<< ナーセル 第二代エジプト大統領 >>
アジアには日本がいた。アラブには日本がいない。
<< ブン・トモ インドネシア首相 >>
あの戦争は我々の戦争であり、我々がやらなければならなかった。
それなのに全て日本に背負わせ、日本を壊滅寸前まで追い込んでしまった。
申し訳ない。
…以上、コピペでした!
「日本人が世界に誇るもの」
http://www11.ocn.ne.jp/~square.h/daitoua-sensou.htm
*********************
第二次大戦 名言集 (日本編)‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1411432
第二次大戦 名言集 2(続・日本編) [Stories(コードギアス)]‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1453201
第二次大戦 名言集 3 改訂版‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1488045
第二次大戦 名言集 4‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1523156
第二次大戦 名言集 5 (主に在日外国人の記憶)‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1571968
第二次大戦 名言集 6(戦犯編)‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1625263
第二次大戦 名言集 7(続戦犯編)‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1680734
第二次大戦 名言集 8(開戦編)‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1717571
第二次大戦 名言集 9(アジア独立編)‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1781209
第二次大戦 名言集 10 (再うp版)‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1887900
第二次大戦 名言集 11 (責任編)‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2009782
第二次大戦 名言集 12 [徴兵制って知ってる?編]‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2136714
第二次大戦 名言集 13 [影の主役編]‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2267895
第二次大戦名言集 14 (Bー29編)‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2509242
第二次大戦 名言集 番外編 (大空のサムライ編)‐ニコニコ動画(SP1)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1833312
…歴史は影ばかりでなく、光の部分も知っておいて損はないと思います。
『 日本は侵略国家であったのか 』 田母神俊雄
(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf )
アジアの人は日本人をどう思ってるの?
http://jp.youtube.com/watch?v=9RCWrJP-AaQ&feature=related
アンケート結果。
大東亜戦争 ビルマ独立と日本との関係
http://jp.youtube.com/watch?v=vZFaIo8uEEc&feature=related
あの戦争の別の側面が見える。
人種の平等と世界平和,公正な世界を目指した日本
http://jp.youtube.com/watch?v=L7KN5h8YHrE&feature=related
日本人は昔から善人が多かったのでは。
大和心とポーランド魂
http://specific-asian-flash.web.infoseek.co.jp/poland.html
感動します。
以下の本がオススメ
世界に愛された日本―誰も教わらなかった日本近現代史
http://www.amazon.co.jp/dp/4775513486
http://
こうやって歴史を知らない日本人が簡単に謝罪しまくるから世界にどんどん誤解されていく。
「謝っている日本人もいるのだから事実なのだろう」と。
こういう日本人は中国人に「良心的日本人」と特別扱いされ「自分は他の日本人とは違う」と良い気になっちゃうんでしょうね。
そして、中共の手先として知らぬ間に操られるんですよ。
江沢民は98年5月に世界中にいる大使を呼び寄せてこう言った。
「日本に対して歴史問題を永遠につきつけていく!
日本をコントロールする方法は2つある。
一つはアメリカを介して影響を与える。二つ目は日本の国柄を利用することだ。
日本は押すと引く国である。押す時に口実として歴史認識を使うのが有効だ。日本は自分が悪かったと思っている。自国の歴史を知らない国民なのだ」
(中国で06年に発売された「江沢民文選」)
↑これは韓国も使う手法です。日本人の人の良さが結果として評判と国力を下げているのです。
正しい歴史認識を持ち、こちらに刃を向けてくる相手には優しさではなく、断固とした態度をとる必要があるのです。
このように、歴史を知らず無用な贖罪意識を持つ日本人は、隣国のユスリタカリのカモにされているのが現状です。
そもそも、中国人の国民性を前にして「事実を認め謝罪する」ということはあまり意味がありません。
マッカーサー元帥 は
昭和25年10月トルーマン大統領に対して「東京裁判は誤りであった」と 告白。
さらに昭和26年に米国上院において「日本がおこなった戦争は 正当防衛であり侵略戦争ではなかった」と公式に証言しています。
唯一覆らないのは植え付けられた日本人の 「日本だけが加害者」という自虐的歴史認識だけ。
「一つの民族を抹殺するには、その記憶を失わせる事である。
歴史を失わせた上で新しい歴史を与えれば良い。
そうすればその民族は自らの現状も過去も忘れてしまうだろう」
ミラン・クンデラ(名言集5)
戦後、米国は日本に対して、焚書や検閲等徹底的な洗脳工作を実施しました。
当時、日本は侵略される側の最後の砦で、本当の侵略国家は欧米だったのに、
日本がアジア各国を侵略したという話にガラリとすり替わってしまいました。
そして日本人に戦争への贖罪意識(無用な)を植え付け、 「国」に関心を持たせないようにし、危機意識も欠如させ、
歴史の記憶も書き換え、気骨も自尊心も愛国心も奪いました。
現在もその壮大な仕掛けは機能しており、 日教組・左翼政党・マスコミが自動的に偏向を煽動しつづけているのです。
自分の国を悪く言う歴史教育をやっているのは世界で日本だけです。
*********************
先の戦争の真実は、白人帝国主義(人種差別と植民地政策)国の勝利により歪曲されています。
祖父達は、戦争には負けましたが、欧米国の人種差別とアジア植民地化政策を粉砕するという戦争目的では勝利したのです。
アジア諸国は皆、日本の戦争により、白人帝国主義(欧米諸国)の植民地からの独立を果たしたのです。
敗戦国なるがゆえ、戦勝国に諂った政治政策により歪曲された歴史教科書などに惑わされてはならない。
<< タイ国元首相「ククリックド・プラモード氏.」の言葉 >>
「日本のおかげでアジアの諸国は全て独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、
生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、
いったい誰のおかげであるのか。
それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが
身を賭して重大決意をされた日である。
我々は、この日を忘れてはならない。」
(十二月八日、現地新聞「サイアム・ラット紙」)
<< インド元大統領「ラグ・クリシュナン氏」の言葉 >>
「インドは当時、イギリスの浮沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
それを、我々と同じ日本が見事に撃沈した。
驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。
(昭和四十四年「日本経済新聞」)
<< インドネシア元情報宣伝相「ブン・トモ氏」の言葉 >>
我々アジア・アフリカの有色民族は、
ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。
インドネシアの場合は三百五十年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の目の前で、
徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、
アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。
一度もった自信は決して崩壊しない。
日本が敗北したとき、
「これからの独立は自力で遂行しなければならない。
独力でやれば五十年はかかる。」と思っていたが、
独立は意外にも早く勝ち取ることができた。」
<< インド極東国際軍事裁判判事「ラダ・ピノート・パール氏」 >>
「要するに彼等(欧米諸国)は、
日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、
自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、
日本の十七年間(昭和三年~二十年、東京裁判の審理期間)の一切を、
罪悪と烙印することが目的であったに違いない。
私は1928年から1945年までの十七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。
それを、私は判決文のなかに綴った。
その私の歴史を読めば、
欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。
それなのに、あなたがたは自分等の子弟に、
「日本は犯罪を犯したのだ。」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ。」と教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、
どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って卑屈、
荒廃に流されて行くのを、私は平然として、見過ごすわけにはゆかない。
あやまられた彼らの宣伝を払拭せよ。
あやまられた歴史は、書き換えなければならない。
(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)
<< 韓国 韓日文化研究所「朴 鉄柱氏」のことば >>
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、
敗れたのはむしろ
イギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼等はこの戦争で植民地を全て失ったではないか。
戦争に勝った、敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる。
というのは、クラウゼビッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり
日本の戦争こそ「聖なる戦争」であった。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってはこないが、
しかし彼等は英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、
国民尊崇対象となるのである。
(昭和四十二年十月)
<< イギリス歴史学者「ウエールズ氏」の言葉 >>
この大戦は植民地主義に終止符を打ち、
白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。
<< 米国ハワイ日本経済事務局長・政治学博士「ジョージ・S・カナヘレ氏」の言葉 >>
日本占領軍が、インドネシア民族主義のために行った種々の仕事の中で、
最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を創設して、
それに訓練を与えたことである。
(中略)
インドネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なものであった。
これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と何千の兵士となり
復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を戦う際の基盤となった。
日本によって与えられた、このような機会がなかったならば、
戦後のインドネシア民族革命の経過は違ったものになっていたであろう。
<< ビルマ元首相「バ・モウ氏」の言葉 >>
約五十年前、ビルマは三回にわたる対英戦争の結果、
その独立を失いえり、英国側はアジアに対する掠奪的野望をもって、
これらの戦争を遂行した。
愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流?、拷問およびしばしば
死を甘受して突進して行った、これらの英雄はビルマの生存のため、
苦難を受け遂には屍たり。
ビルマ人はアジアを結合させ、アジアを救う指導者を待望していたが遂に、 これを大日本帝国に発見した。
ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対し、
日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものである。
(ビルマ独立宣言より)
<< インドネシア共和国元首相「モハマッド・ナチール氏」の言葉>>
大東亜戦争というものは、
本来なら私達インドネシア人が独立のために戦うべき戦争だったと思います。
もしあのとき私達に軍事力があったなら、私達が植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争とは、そうゆう戦いだったんです。
<< イギリス歴史学者「アーノルド・J・トインビー氏」の言葉 >>
英国最新良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、
特別にセンセーションをおこす出来事であった。
それはまた、永続的な重要性をもつ出来事でもあった。
なぜなら、1840年のアヘン戦争以来、
東アジアにおける英国の力はこの地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本は全ての非西洋国民に対し西洋は無敵でないことを決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気の及ぼした恒久的な影響は
1667年のベトナム戦争に明らかである。
(昭和四十三年三月二十二日「毎日新聞」)
<< G・デザイ(印弁護士会会長) >>
インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩を忘れてはならない。
<< 仏ドゴール首相 >>
シンガポール陥落は、白人植民地主義の歴史に終焉をもたらした。
<< ラジャ・ダド・ノンチック(上院議員) >>
我々ら日本軍を歓迎で迎えた。日本は将来の我々のために
多くのものをもたらしてくれた。
我々は日本から学んだことは「国を守る術」だった。
<< 歴史家 「Z・アビディーン」 >>
日本軍政はマレー人の独立の種を撒き成長させた。
<< ゴー・チョクトン首相(シンガポール) >>
日本の統治は過酷なものだった。
しかし、日本軍により欧米の植民地支配は粉砕された。
これはアジアに自信をもたせた。
大戦後15年以内にアジアの植民地は全て開放された。
<< オン・サン(ビルマ独立の父) >>
日本の軍事訓練は厳しすぎた。何度か自殺を考えるほどだった。
しかし、ラン・グーンが落ちたとき、
我々は間違っていないことを確信した。
1948年8月1日 独立を宣言
しかし、日本軍の劣勢は彼等の決断をせまる。
独立維持の密約をイギリスから取り付けたオン・サンは、
日本からの離反を決意。
同士の説得を開始する。
<< ミン・オン(ビルマ義勇軍設立メンバー) >>
その判断は正しい。ビルマは生き残る術は他にない。
しかし・・・・・。私は日本を裏切ることはできない。
ミン・オンは離反を拒否し自決の道を選んだ。・・・・
終戦後、イギリスは密約を無視。再植民地化に乗り出すが
イギリスはそれが不可能であることを悟った。
日本とオン・サンらが育てた、ビルマ義勇軍10万が英に立ちはだかった。
1948年1月4日ビルマ完全独立、
式典にオン・サンの姿はなかった。
(47年7月暗殺 32歳)
<< 初代ビルマ首相 バ・モウ >>
「真の独立記念日は1948年1月4日ではない。
1943年8月3日だ。
独立の真の理解者は東條大将と大日本帝国だった。
<< M・ハッタ(インドネシア独立の父) >>
日本の戦いは8月15日に終わった。
我々の戦いは8月17日に始まった。
オランダは独立の腹いせに、多額の債務インドネシアに要求した。
これを、戦時賠償の形でかたがわりしたのが日本であった。
<< サン・パス復員軍人相 >>
戦争が終わったあと多くの日本人が帰らずに我々と戦ってくれた。
国軍墓地に葬り、勲章を贈った。
しかし、それだけではたりないものを、彼等は我々に与えてくれた。
<< アラ・ムジャ陸軍大将 >>
日本にはあと五年がんばってほしかった。
そうすれば中東とアフリカはもっと早く独立できたはずだ。
中東もアフリカもこんなに苦しまずにすんだはずだ。
<< ナーセル 第二代エジプト大統領 >>
アジアには日本がいた。アラブには日本がいない。
<< ブン・トモ インドネシア首相 >>
あの戦争は我々の戦争であり、我々がやらなければならなかった。
それなのに全て日本に背負わせ、日本を壊滅寸前まで追い込んでしまった。
申し訳ない。
…以上、コピペでした!
「日本人が世界に誇るもの」
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第二次大戦 名言集 (日本編)‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 2(続・日本編) [Stories(コードギアス)]‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 3 改訂版‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 4‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 5 (主に在日外国人の記憶)‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 6(戦犯編)‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 7(続戦犯編)‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 8(開戦編)‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 9(アジア独立編)‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 10 (再うp版)‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 11 (責任編)‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 12 [徴兵制って知ってる?編]‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 13 [影の主役編]‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦名言集 14 (Bー29編)‐ニコニコ動画(SP1)
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第二次大戦 名言集 番外編 (大空のサムライ編)‐ニコニコ動画(SP1)
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…歴史は影ばかりでなく、光の部分も知っておいて損はないと思います。
『 日本は侵略国家であったのか 』 田母神俊雄
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アジアの人は日本人をどう思ってるの?
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アンケート結果。
大東亜戦争 ビルマ独立と日本との関係
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あの戦争の別の側面が見える。
人種の平等と世界平和,公正な世界を目指した日本
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日本人は昔から善人が多かったのでは。
大和心とポーランド魂
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感動します。
以下の本がオススメ
世界に愛された日本―誰も教わらなかった日本近現代史
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