在日朝鮮人たちの収入源の中でも“2本柱”ともいえる 
『パチンコ』と『サラ金』の不買運動というのはどうしたらいいのか。 
 「パチンコなんかやらなければいい!」 
 「サラ金なんかで金を借りなければいい!」 
正しい。 正しいが、これでは解決しない。 
これはパチンコやサラ金に無縁な人の目線でしか観ていないからである。 
これを読んでいる方が今後もパチンコをないことはそれはそれで素晴らしい。 
だが、本人以外にパチンコやサラ金を利用する知り合い等を辞めさせられなければ 積極的な意味での経済制裁効果はゼロである。 
つまり、「やらない人が、今後もやらない」というのは “制裁には”ならないという意味である。 
日本人ができる朝鮮への対抗策を語るのにパチンコとサラ金の話は避けて通れないので 
『 パチンコを辞めたくなる情報/辞めやすくする知識 』や、 
『 サラ金の借金を収入を増やさずに早く返せる2つの方法 』などを 
順番にひとつずつ検討してみよう。 
身近にパチンコ・サラ金に手をつけている、または手をつけそうな知人がいたら ぜひ一緒に対策することで朝鮮人が日本に寄生する“旨味”を減少させて頂きたい。 

★パチンコと縁を切れ  
「ギャンブル依存症」という言葉がある。 
これはパチンコ(ギャンブル)を辞められない人を揶揄する言葉ではない。 
ギャンブル依存症とは、WHO世界保健機関の国際疾病分類(ICD-10)でも「習慣および衝動の障害」に分類され、病的賭博(Pathological gambling)として広義では疾病の一種とされるものである。 
当然、専門の医療機関においては投薬による治療や精神療法による治療、 
ネットワークセラピーなども行われている。 
だが現実には、依存症とされないまでも、軽度の依存症や重度のパチンコ愛好家などは多数存在し、パチンコというものが常習すると辞めるのが 困難なことが多いとは知られていながら、あまり抑制する動きがないのが実情である。 
その昔、“パチンコ屋の換金所を襲った強盗がその金を持って別のパチンコ屋で玉をはじいていた”などというジョークのような事件が実際にあったという。(犯人は重度のパチンコ依存症の中年女性。もちろん逮捕された) 
とにかくパチンコをしない者が思うほどパチンコ依存症というものは甘くないのである。 
では、いかにしてパチンコと縁を切るか。 
とりあえずよく耳にする対策法をいくつか挙げてみよう。 
◆パチンコに関する記録をつける方法 
自分がいかに負けているか(具体的に“いくら”負けているか)を確認することで 辞める決心を明確にするというもの。自分の状態を認識することはどんなタイプの 依存症の場合でも絶対に必要なことである。これで実際に辞めた者の報告は多い。 
逆にパチンコを辞められない者には収支を「把握していない」ケースが多い。 
また、効果的な方法として、使った金額と一緒に「プレイ時間」をメモすることである。 
最近のパチンコやパチスロは1万円が2~30分程度で消えるため、メモを見返せばどれだけ短時間で結構な額を失ったかを自覚することができる。 
だが、これは重度の依存症の場合は効果が無いことがある。 
なぜなら重症者は「収支がプラスになったら辞めよう」などと甘いことを考えていて、実際に収支がプラスになっても「調子がいいからもう少し続けよう」と考えることが多いとされているからである。これには『“なぜ”パチンコに勝てないか』を はっきりと認識して自制する根拠を頭の片隅に置いておく必要がある。(※後述する) 
◆パチンコ店との関係を“環境や条件”から先に変える方法 
具体的には「ダイレクトメールを受信拒否する」「会員カードを作らない」 
「会員カードを既に作っている場合はカードだけ先に捨てる」などの 
物理的な条件から先に変える行動で大きな実効性が期待できる。 
ちなみに「パチンコ店から遠い所に引っ越したら辞められた」という者もあるという。 
ただ、パチンコのない地域はほとんど無いので現実的ではないので、 
移転する代わりに「帰宅する道順を変える」「余暇で習い事をする」なども方法の一つだろう。 
◆気持ちの置き方に変化をつける方法 
ある者は「ドラクエなどのRPGにはまったらパチンコ屋から足が遠のいた」という。 
また、「自己宣言」するという方法もある。人は自分で決めた事を変更するのを嫌う心理があるので、パチンコを辞める宣言を自分でしてからパチンコを打ってしまった時にかなり自分を責めることになる。パチンコをやらない時間が続けば次第にパチンコへの執着が薄れてくるという方法である。 
これに類似した方法で、「パチンコを辞めたがっている人と一緒に辞めることを誓う」というのもある。ネットでそのような掲示板などを見つけて毎日書き込んで互いに励ましあいながら意志が揺るがないようにするという方法である。 

★ギャンブル依存症の心理状態 
これらの方法でも辞められない人は存在する。 
そのような人たちに「なぜ辞めないか」を聞くとほとんどの場合こんな趣旨の答えが返ってくる。 
 「男は勝負してこそ意味がある!」 
 「チマチマして守りに入ったような生活はイヤなんだ!」 
確かにこのようなポリシーは一見男らしいようなイメージにみえるが、 
こと「ギャンブル」に関しては、この解釈は欺瞞である。 
それはパチンコには楽に自己肯定できる心理的な要因が強いためである。 
ギャンブルの心理について少し理解を深めてみよう。 
まず、人間は何かに失敗したとき、いくつかの原因を複合的に考えると言われている。 
原因は大きく2つに分類される。 
ひとつは「努力」や「才能」などの自分の中の要因、『内的要因』である。 
そしてもうひとつが 
「運」や「課題の難しさ」といった自分以外の要因、『外的要因』である。 
たとえば、“学校のテストが上手くいかなかった”という失敗があった場合は、 
「もっと勉強をしておけば良かった」という内的要因と 
「今回のテストはいつもより難しかった」などの外的要因を複合して解釈するわけである。 
もちろんこの例に限らず、失敗の種類によって色々な原因が考えられるので、 
ほとんどの場合、どちらか一つの原因だけのせいにすることはあまりないのである。 
しかし、これが『パチンコ』だと、話が違ってくる。 
パチンコで負けた場合、 
「負けたのは俺にパチンコの才能がないからだ!」とか、 
「パチンコをする努力が足りなかったんだ!」などという 
落ち込み方をする人はいないのである。 
(いたとしても「才能があればパチンコに勝てる」というのは勘違いである) 
つまりほとんどの人が 
「今日は運が悪かった」「この台は出ない」「この店はダメだ」 
などと、『外的要因』のせいにするのである。 
すなわち、「自分が傷つかない」のである。 
これを理解するとパチンコを辞めたがらない人の欺瞞が見えてくる。 
「男は勝負!」「俺は守りに入らない!」とするパチンコ依存症は逃げていないようで逆に傷つくこと(自分のせいにすること)から逃げているのである。 
また、パチンコが辞められない理由についても学習心理学の“オペラント学習”に関する実験を例に説明することができる。 
『オペラント学習』 
スキナーという心理学者が行った実験。「スイッチに触れるとエサがもらえる 
仕組みの箱」の中に空腹のネズミを入れる。すると、動き回って偶然スイッチに触れてエサを得ることを何度か繰り返すうちに、反応の結果から条件を学習して、自分からスイッチを押してエサをもらうことを覚える。 
このように、自らが環境に働きかけて“何らかの期待する反応”を得ようとする 
行動を覚えることをオペラント学習という。 
『スキナーの箱実験』 
1.スイッチを押せば「必ず」エサがもらえるグループと、スイッチを押しても 「たまに」しかエサがもらえないグループの2種類のネズミを用意し、スイッチとエサの関係をオペラント学習させる。 
2.学習後、両グループとも「スイッチを押しても一切エサが出ない」ようにする。 
3.すると、「必ず」エサが出てきていたグループのネズミはエサが出なくなると「もうエサは出てこないんだろう」と諦めてスイッチを押さなくなった。 
4.それに対し、スイッチを押してもエサがもらえなかったことがあるグループのネズミは「今度こそは出るだろう」とスイッチを押し続けた。 
少々ややこしくなったが、要約すれば、 
「いつも出ていたものが出なくなれば、もう出なくなったと感じる」のだが、 
「元々出ないこともあったものが出なくなっても、次こそは出ると期待してしまう」ということである。
この実験をパチンコにあてはめてみると、依存症の人の心理は 
「次こそは勝つと思うから辞められずにパチンコ屋に通う」、 
つまり、「勝ちへの期待が大きすぎるから辞められない」と解釈できるのである。 

★パチンコで勝てるか? 
上記をふまえて、ここからが本題である。 
  “なぜ”パチンコを辞められないのか。 
それは上の説明からもわかるように、「勝てると思ってるから」である。 
この時点で根本的に認識が甘いのだが、確かにオペラント学習した事柄は 
“消去抵抗”というものが働いてなかなか消えづらいという。 
だが、スキナーの実験でいえば、ネズミ自身が「エサはもう出ない」と 
理解すれば辞められるともいえる。 
そこでパチンコについて認識を大きく改めて頂きたい。 
  パチンコは勝てないのである。 
では“なぜ”勝てないか。 これには3つの理由がある。 
1.パチンコはルール無用の業界である。 
脱税がまかり通る時点でパチンコ業界が無法地帯なのは疑う余地がないのだが、それ以外にも理由がある。 
既に述べたように日本が定めるギャンブルは競馬や競輪のような公営ギャンブルのみである。我々はそこからパチンコは日本においてギャンブルとして扱われていないことを、まず、改めて認識し直さなくてはならない。 
政府が何の規制もしないため控除率(換金率ではなく、結果的に胴元がプレイヤーの配当から利益としてピンハネする率。いわゆるパチンコ・パチスロ台の設定)も定められておらず、 
それぞれのパチンコ店が客から搾取したい分だけ自由に設定して巻き上げるという 「ほぼ全てを個々の店が裁量するシステム」である。 
つまりパチンコというのは競馬や競輪などのギャンブルよりも 
どちらかといえば夜店の「宝引き」などのような遊びに近いものなのである。 
夜店の「宝引き」をご存知ない方のために説明すると、 
「客側に垂れている無数の紐の中の一つを客が選んで引っ張ると、 
紐の反対側に繋がっている景品が貰える」という単純なゲーム・出し物で、 
客が引く紐と景品の間の紐は隠されていて、どの紐がどの景品と繋がっているかは引いてみないとわからない、という“縁日のくじ引き”の一種である。 
この宝引き、実は小当たりが出ることはあっても、大当たりは絶対に出ない。 
要するに高額景品(今だとPSPやPS2などのゲーム機など。子供の物欲を 
刺激する豪華な玩具が無数に並んでいる)は、客側の紐と初めから繋がっていないのだ。 
(このように高額景品が出ないようになっているのは他の縁日ゲームも同様) 
これは夜店の経営から考えても当然である。 
店側が期待できる売上高の最大値は「紐の総数 × 1回のゲーム単価」なので 
仮に1日の縁日で100人が一回300円のゲームを行ったとしても売上は3万円。 
その条件で景品価値の合計が3万円以上になっている時点でもうおかしいのである。 
だが、景品が安物ばかりでは夢がないし、 
一回のゲームにあまり高い値段はつけては子供が参加できない。 
つまりそれらの“子供を騙す詐欺・イカサマ”は 
縁日を盛り上げるための『演出』なのである。 
これはサンタクロースの正体などと同様に大人が黙っていればいいだけの 
『縁日のサービスのひとつ』とでも考えればいい話である。 
もちろん宝引きは元々『ギャンブル』ではなく、『遊戯・娯楽』の一種であるため言うまでも無く“娯楽を提供すること”を第一として対価をとる業態であり、その点で宝引きとパチンコは同じなのである。 
では次に、具体的にパチンコ屋のイカサマをみてみよう。 
事例はたくさんあるが、パチンコ・パチスロの当たりを恣意的に操作する 
『遠隔操作』や『裏ロム』などの存在が最もわかりやすいだろう。 
遠隔操作(要するに店側のイカサマ)の話をすると、パチンコ好きの多くは 
必ず「ゲームの期待値だけで商売になるから遠隔操作する意味がない」とか、 
「多数の客を一人一人を狙い撃ちすることは不可能」などという反論をする。 
その認識はとんでもない誤解であり、マスコミに洗脳されているといえるだろう。 
まず、あまり派手に報道されないだけで摘発された事例が実際にあるのだ。 
その手口は、各台に不正ロムを仕込み、「台コントローラー」と 
「島コントローラー」という装置で接続した2台のパソコンを使って 
店の2階にある事務室からモニターを見ながら遠隔操作で客の座ってる 
台の出玉を自由に調整する、というもの。 
摘発された者の供述を見ると、店の裏にあるパソコンと連動させているため、 
せいぜい関係者数人足らず、または店長が1人で出玉を操作していることが多い。 
これは「少人数の従業員でも多数の客を十分に操作できる」という意味である。 
(別に客の全員を操作しなくても店側は一向に困らないのだが) 
それだけではない。 
あまり知られていないことだが、そもそも遠隔操作の装置や技術は 
とっくに『特許登録』までされているのである。 
「特開平10-137422」の特許内容を見てパチンコを辞める人も多いのではないだろうか。 
確かに「パチンコ台そのものの期待値だけで商売になる」というのはある意味事実だろう。 
だがそれは「店が必ず利益をあげられる=客が必ず損をするゲームシステム」という 意味なので、それでは百歩譲って遠隔操作が存在しなかったとしても何の意味もない。 
また、「期待値だけで商売になること」と「期待値よりも儲けたくならないこと」には相関性がない。全ての店が儲かっているとは限らないだろうし、“正規の台の収益”と “パチンコ屋の店長の金欲”とが両天秤にかかるだけの話である。 
しかも百歩譲らなければ摘発をみての通り、イカサマは間違いなく実在する。 
もちろん全てのパチンコ屋が遠隔操作のようなことをしているわけではないだろうが、最低限理解しておきたいことは、宝引きと同様に、客が投入した総額よりも パチンコ屋が払い出す景品総額の方が少ないのは“当たり前”、ということである。 
縁日の演出は子供を楽しませるために騙すものだが、 
いい大人が縁日気分でパチンコ屋にカモにされてはいけない。 
2.ギャンブルと商売。 
勝てない理由はそれだけではない。 
内容的に上記の1を単純化したような話ではあるが、 
パチンコは「客にとってのみギャンブルであり、店にとっては商売」という立場の差だ。 
店は商売でやっている以上、運などに左右されて“勝ったり負けたり”してなどいられない。 
つまり客の数に正比例して『店は毎日必ず勝たなければ(儲けなければ)ならない』のである。 
先ほどの「宝引き」の例にあてはめて一日の売上を仮に3万円とするなら、 
一日に客に渡る景品価値、光熱費、諸々の原価、資材費、場所代、人件費などの諸経費の合計が3万になることなどあってはならないのという意味である。 
(何のために商売をしているか意味がわからなくなるから) 
また、考えればわかることだが、宝引きに本当に当たりを入れてみた、という状態を仮定した場合、 
その日の営業を開始した途端、始めの数人の客で大当たりを全て引く“可能性”を否定する方法は存在しない。 
つまり不運にも「残りの紐が全てハズレに近い状態になる」というケースである。 
もしそのようにして客寄せの目玉景品が早々に店から消えてしまったら、 
その後は営業ができなくなる。商売でやっている人間が『運』などを頼って 
そんな危険なことをしていては経営者失格である。 
店側は経費を払った時点ですでにリスクを負っている。 
それ以上のリスクはできる限り排除しなければならない。 
もちろん商売でやっている者が『運次第で』1日の労働そのものがタダ働きに 
なりえるような「当たり」などを入れるリスクを負うわけがないのである。 
全ての商売は、客が来れば必ず店側が儲かる。 
パチンコ屋が損をするパターンは、「客が来ない場合のみ」なのである。 
逆に、客の目線でみれば“短期的には”勝つことも負けることもある。 
これはそれこそ「(客にとっては)ただのギャンブルだから」に他ならない。 
もう一度繰り返そう。 
パチンコは「客にとってのみギャンブルであり、店にとっては商売」だ。 
それゆえ、ギャンブルであれば確率論で明らかなようにプレイヤーは 
短期的に勝つことがあっても、長期的には「やればやるほど」必ず負ける。 
逆に胴元(パチンコ店)は、やればやるほど勝つ仕組みになっているのである。 
この、「商売とギャンブルの違い」を理解するためには 
パチンコ屋に内在するもうひとつの“商売”もしっかり認識しなくてはならない。 
それは『パチプロ』と呼ばれる人たちである。 
今度は株の取引にたとえてみよう。 
この場合、“パチンコ店”は証券会社にあたる。 
相場がどうなろうが、客の取引結果がどうであろうが、 
客が来て参加しさえすれば手数料(パチンコの胴元控除)は確実に手に入る立場だ。 
“パチプロ”は、ここでは株式売買のプロに相当する。 
客側なのでギャンブル的な要素はあるものの、技術と経験から勝率が高く、 
長期的なトータルの収支では必ず勝つ人たちである。 
さて、株式の取引というステージを想定した場合、あと1つ重要な配役がある。 
それは全体の8~9割にあたる「負ける人」である。 
プロというものの存在が成立していることを理解すれば 
「負ける人がいないと成立しない」のは明白である。 
つまりパチンコでも株でもプロが存在できるのは『ほとんどの人が負けるから』であり、 
パチンコに負けたくないなら、やらないか、パチプロになるしかない。 
しかも、そのパチプロですら最近は「もう勝てない時代になった」と言っているのである。 
パチプロでも「商売」が苦しくなってきた理由も付け加えておこう。 
従来、パチプロが勝てる(商売できる)理由付けは非常にシンプルで、 
『良い台を選んで、最良の方法で打てば、確率上必ず勝つことができる』というものである。 
これは今では机上論である。 
数字に強い人ならわかると思うが、最近の台は、 
『1日で確率の収束を観測するには抽選確率の分母が大きくなりすぎた』のである。 
もちろん高設定の台で毎日打ち続ければ、いつかは確率が収束し、必ず勝てる。 
だが、高設定台で毎日打ち続けることは不可能であり、現実問題として高設定台を選ぶことも、 
選んだ台を高設定だと認識・確認する方法は存在しない。 
パチプロが最良の方法で打つ、といってもゲームにおける技術介入度はかなり低い。 
(技術のある人が打っても短期的にはほとんど結果を左右しないという意味) 
しかも最近の台は、大当たり確率以外の抽選要素を加味しないと数値通りの結果が出ない。 
そしてプレイヤーは毎日台を替えることを余儀なくされ、店側も設定を毎日変える。 
現実的にも、数字の上でも、 
最悪設定の台でも短期的には勝つことがあるのと同じレベルの現実味で、 
最高設定の台でも短期的には負けることがある。 
1日ゲームした人がプラスの収支になった時に「高設定台だった」と判断するのは早計であり、 
実際には確率が「収束」したのではなく、「偏った」だけの表層的な結果である。 
しかも毎日高設定の台を選び出すことは店のサクラでもない限り不可能であり、 
偶然高設定の台を選んでも、それが高設定だとはプレイヤーにはわからない。 
つまり、ギャンブル(=運次第で勝ったり負けたりする)である。 
必ず勝てる裏づけのない者、ギャンブルをする者をパチプロとは言わない。 
ゆえにパチプロは存在するのが難しくなっているのである。 
3.胴元は誰か。 
パチンコでは勝てない3つ目の理由。 
胴元、つまりパチンコ屋を経営してるのは誰か、という問題である。 
これを読んでいる方はもうご存知だろう。 
『パチンコは多くの場合、朝鮮人が胴元をしているギャンブルである』 
彼らの性質や目的を考えれば、日本人の客を勝たせたいと思うことは期待できない。 
もうそれだけでパチンコをやる気が失せるというものである。 
これについてはあえて説明を省略することにする。 
これらをまとめると、 
  「パチンコは短期的に(まぐれで)しか勝てない」 
  「長期的には負けるようにできている」 
  「負けたくないなら、やらないか、プロになるしかない」 
  「最近はプロでも商売を成り立たせるのが難しい」 
ということである。 
宝引きと同じように一回300円を「捨てる」ような気持ちで 
娯楽の対価として払うならまだいいが、パチンコを「勝てる」と勘違いして 
「種銭を取り返す気で」やることが依存症の原因であり、問題なのである。 
今負けている人は、収支がプラスになったら辞めようなどと 
甘いことを思うべきではない。 
余計な条件をつけずに今すぐ辞めるべきである。 

その2に続く