「釈然としない1秒」フェンシング韓国代表が座り込んで抗議
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2101491&media_id=97
彼らは「潔く受け入れよう」なんて考えない。恥だとも思わない。
一般的な韓国人は、「とりあえず駄々をこねれば何とかなる」と考える。
泣く子は餅を多くもらえる、という朝鮮の諺がある。
「ごねて相手の情 に訴えかければ、その分利益が増える」と言う意味。
麗水 ごり押し時には必要
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/worldtown/CK2012061302000228.html
二〇〇五年の愛・地球博(愛知万博)と一〇年の上海万博に毎日通った愛知県瀬戸市の主婦山田外美代(とみよ)さん(63)に、韓国南部の麗水(ヨス)市で開催中の万博で会った。
五月の開幕以降、やはり「皆勤」を続ける彼女が嘆いた。「パビリオンの入場待ちで子どもは列に並んでいるのに、おばちゃんたちが横入りしていくのよ…。愛知、上海はこうじゃなかった」 確かに、韓国は一面で、
正直者がばかを見る理不尽な社会だ。私も麗水で実感した。
夜九時まで入れると聞いたパビリオン。八時半に着くと「もう掃除を始めた」と入場を断られた。「事前に確認したのに」と食い下がると、職員は「じゃあ、私の後ろについて入ってください」と笑顔に変わった。
昼に入った会場内のレストラン。麗水は日本でも夏が旬の「ハモ」で有名だ。メニューの湯引きを頼むと「売り切れです」。前日もそう言われた。「隣席の人は食べているし、二日続けて売り切れなんて」と粘ると、「用意します」ときた。
よく言えば融通がきく社会。悪く言えば、ごね得、ごり押し文化。
赴任した一年前、韓国滞在の長い日本人の知人がずぶとく見えた。最近は私も「こちらの本気度が試されている」と好意的に解釈し、時にはずうずうしくトライするようにしている。
駄々をこねれば何とかなる…韓国社会に根付く誤った認識(朝鮮日報)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/05/29/2012052901267.html
今月27日に起きた麗水世界博覧会(麗水エキスポ)でのパビリオンの予約制中止騒動
(来場客が殺到し、パビリオンに入場できない客が激しく抗議したため、事前予約制による入場を急きょ先着順入場に変更) をめぐっては
「とりあえず駄々をこねれば何とかなる」という、 韓国社会に根付いている誤った認識が露呈した現象
だとの指摘が相次いでいる。
延世大社会学科のリュ・ソクチュン教授は
「補償を受けたいという心理の強い少数集団の利己主義と、 責任意識の薄い指導層が妥協することが、 韓国の先進化においていかに大きな足かせになるかを示す、端的な現象」と指摘した。
新京義線の開業遅延も同様のケースだ。韓国鉄道施設公団によると、 今年末に開通予定だった新京義線は、2年先送りされた。 その最大の理由は、新京義線の主要駅となる「孝昌駅」の建設が、 駅舎建設予定地に居住する29世帯の住民の反対により遅れているからだ。
公団側は住民が反対している理由について、補償金の問題だとみている。 わずか29世帯の反対によって鉄道建設が遅れ、駅舎建設に待ったが掛かっているというわけだ。
昨年12月にはソウル市蘆原区の下渓駅で、中渓駅方面に向かっていた地下鉄7号線が、乗客1人の抗議によって停止した。 ある乗客が、車内の非常電話で「(前の駅で)出口が開かず降りられなかった。責任を取れ」と声を荒げて抗議したからだ。
困惑した機関士は電車を逆走させた。調査の結果、下渓駅で電車の乗降口は正常に開閉していたことが確認された。
乗客1人の非常識な行動によって、数百人もの乗客の命を預かっている機関士は、電車を逆走させてしまったのだ。
ホテル、地下鉄に続き、飛行機を占拠して騒動を起こしたケースもある。 2010年10月には、ベトナム・ホーチミン発の旅客機に乗っていた乗客2人が、到着が2時間遅れたことに腹を立て、 ほかの乗客約30人を扇動して2時間にわたり空港の入国ロビーを占拠して立てこもった。後にこの乗客2人は警察に立件された。
少数派の頑固な反対運動や訴訟の前には、大規模な国策事業もなすすべがない。 トンネル工事によってチョウセンサンショウウオの生息地が奪われるとして、 市民団体による訴訟にまで発展した「千聖山サンショウウオ訴訟」は、その代表的なケースだ。 一部の市民団体が「サンショウウオを救え」と主張したためにトンネル工事が何度も遅延し、 2兆5000億ウォン(現在のレートで約1700億円、以下同じ)=大韓商工会議所の推計=もの莫大(ばくだい)な経済的損失が発生した。
朝鮮には、成功した人物の親族が寄ってたかって金を無心しにきて、それがさも当然という風習がある。
上の者は恩情の名のもとに下のものを集めて食わせ、
下の者はこの恩情がなければ、じらしのサボタージュで対抗する。
そして上は恫喝し、下はたかるという構造になっている。
そういうのに慣れてる民族なので、厳しく恫喝するのが正しい対処。
※一見乱暴に見える在特会のやりとりは、彼らの対処として間違ってない。民族や思想により対処方法は変わるのだ。
『朝鮮民族を読み解く』
http://www.amazon.co.jp/dp/4480089039
つぎに彼が取りかかったのは、働かずにふんぞりかえっている工場の上層部の排除であった。
社員を集め、このままでは諸君も私も共倒れになる、それでいいのかと恫喝をくりかえした。
この過程で、これではたちいかぬと積極的に発言したものを集め、とにかく飯を食わせた。
特待の恩恵をほどこし、共同会食の一体感をもたせたのである。
下賜と寄食の伝統をプラスに転じ、恩情を強調した。
このようにして同志を増やし、工場上層部の外堀、内堀を次々と埋めていった。
そしてこの過程を上司に報告し、許可を得ると、彼は上層部の飛ばしを断行したのである。以来経営は正常化し、着実に生産、販売は向上しているという。
さて、ここで問題なのは、この伝統が労働者側のサボタージュと容易に結びつくことであり、雇用者側の果てしない共同会食の浪費につながるということである。
両班家の下人たちは、結納のつづらを担ぎ、じらし、そしてたかった。それが喜ばしい民俗の儀式として人々の笑いを誘いつづける限り、この伝統が彼らによって完全に敵視されるに至ることは、なかなか難しいと言わざるを得ないだろう。
________________________________
『アリラン峠の旅人たち』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582760503/
霊柩が埋葬地へ向かう途中、先へ進むのが困難な険しい道や小川などにでくわすと、行列は足踏みをする。するとすかさず親類縁者が歩み寄って、霊柩の前部に張られた縄に金をさしこみ、腰を低くしてさっさと行くよう機嫌をとる。
金の集まり具合を見計らったうえで霊柩輿はふたたび動き出す。
「なあにそれも、小金をせびる風習で遊びだあね。喪儀に雇われたからといってさっさと片付けちまうのも気が咎めるもんで、駄々をこねて長びかせる。すると縄に穴の開いた金を通してくれるんだあ。その金を集めて酒を食らったり、博打を打ったりするのよ。けんどそんな風習もいまじゃ随分とすたれちまってな」崔老人の解説である。P234
________________________________
『朝鮮事情』ダレ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582803679/
これらの者は、人びとの歓待をあてにして、全く仕事をしないで、あちこちをぶらぶらしながら生活する。もっとも図々しい者になると、豊かな人や余裕のある人の家にまるまる数週間も身を落ち着け、服までも作ってもらう。人びとは、後で彼らから悪態をつかれたり中傷されることを恐れて、拒むことができない。P265
両班が首尾よくなんらかの官職に就くことができると、彼はすべての親戚縁者、最も遠縁の者にさえ扶養義務を負う。彼が守令になったというだけで、この国の普遍的な風俗習慣によって、彼は一族全体を扶養する義務を負う。もし、これに十分な誠意を示さなければ、貪欲な者たちは、みずから金銭を得るためにさまざまな手段を使う。
ほとんどの場合、守令の留守のあいだに、彼の部下である徴税官にいくばくかの金を要求する。もちろん、徴税官は、金庫には一文の金もないと主張する。すると、彼を脅迫し、手足を縛り手首を天井につり下げて厳しい拷問にかけ、ついには要求の金額をもぎ取る。
のちに守令がこの事件を知っても、略奪行為に目をつむるだけである。官職に就く前は、彼自身もおそらく同様のことをしたであろうし、また、今の地位を失えば、自分もそのようにするはずだからである。
官職が、両班にとって唯一の名誉ある職であり、またしばしば生きるうえで唯一の手段であるため、おのずから、多くのへつらい者、寄食者、請願者、不運な志願者や猟官者たちの群れが、昼となく夜となく、大臣な人事権をもつその他の大官の舎廊房(書斎兼応接間)にあふれるということは、安易に理解できるであろう。この飢えた乞食の群れは、大臣たちの感情をくすぐってその驕慢心を満足させ、卑劣な人間のみがなし得るあらゆる術策、あらゆるへつらい、あらゆる甘言、あらゆる手管をいつも何のためらいもなく行ない、粘り強く喰い下がっては、多少の成功を得るのである。P195~
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『朝鮮旅行記』 ゲ・デ・チャガイ編
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582805477/
朝鮮では親族関係がとても強靭で、非常に遠い親縁関係にある家族ですら、全てが常に支援と庇護を互いに供与しあっている。
相互扶助は、未払いの負債や税金を杜撰な債務者の近親者に請求するところまで立ちいたり、あたかも相互保障にすら変貌してしまったかの観があるが、朝鮮ではかかる手順が頗る自然で、正義にも適うものと認められている。 (p. 309)
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『朝鮮紀行』イザベラバード
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4809907244/
朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。
ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を
扶養しなければならない。
それもあって人々はわれがちに官職に就こうとし、職位は商品として売買される。居候をおおぜいかかえている男にとって、そこから逃げだすひとつの道は官吏になることなのである。
下級にせよ上級にせよ官吏になれば、公金で居候たちを養っていける。であるから官職がどんどん新設される。目的は、国を治める者たちの親戚や知り合いを食わせるため、にほかならない。だからこそ朝鮮では政治の内紛や暴動が頻繁に起きるのである。おおもとはほとんど揺るがない。朝鮮の革命家は信念を支えに命をかけようとはしないのである。
いまこの瞬間にもソウルでは、何百人もの強壮で並の知力のある男が、たばこ銭にいたるまでの生活費をすべて身内または知り合いの高級官僚に頼り、日に三度ごはんを食べ、雑談にふけり、よからぬことを企んでいる。
自立の誇らしい気分は無縁のものなのである。こういった居候たちを除去したほうがいいとなると、あるいはもはや養っていけないとなると、官職をつくったり探してきたりしてあてがう。したがって行政府の雇用はこういった盗っ人階級の「独壇場」同然である。
何年も前から朝鮮の品位を落としてきた党派争いによる政変は、政治理念の闘争などではさらさらなく、官職と金銭を自由に采配できる地位の争奪戦にほかならない。政府高官がそれぞれ猜疑心がつよく協力し合わないのも、ひとつには国王に対してほかの同僚よりもつよい影響力をもち、自分の親戚や知り合いを登用させたいという欲望が各大臣にあるからである。
朝鮮語辞典の編者によれば、朝鮮語の「仕事」ということばは「損失」「悪魔」「不運」と同義だといい、また怠惰な生活を送れるのは貴族の一員であるあかしなのである。官吏は生活が立ちゆかなくなるからこそ、居候を職に就かせようとする。このような居候は職に就いてもたいがいの場合なにもせず、できるかぎりのところから「搾取」しまくるのがせいぜいときている!
これまでわたしは最終的に食いものにされるのは農民層だといやになるほど繰り返してきた。農民はほかのどの階層よりも懸命に働いている。いくぶん原始的であるとはいえ土壌と気候によくマッチした手法を使っており、土地の生産性を楽に倍増できるはずなのである。
ところが働いた分だけの収入を確実に得られるあてがまったくないため、農民たちは家族に着せて食べさせられるだけの作物をつくって満足し、いい家を建てたり身なりをよくしたりすることには恐怖をいだいている。
無数の農家が地方行政官や両班から税を強制取り立てされたり借金を押し付けられたりして年々耕作面積が減り、いまや一日三度の食事をまかなえる分しか栽培していない。搾り取られるのが明々白々の運命である階層が、無関心、無気力、無感動の底に沈み込んでしまうのはむりからぬことである。
改革があったにもかかわらず、朝鮮には階級がふたつしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人は文字どおり「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。(p465まで)
連行されたと言う母に、息子が戸惑いながら違うでしょと咎める動画。彼らの世界では嘘は普通で、その嘘の世界に入り込んで話しをする。二転三転しても気にならない。加害者が被害者になるだけで、お金や地位までもらえるのだ。恩などはない。自分の得のみを優先して動く。彼らと接する事がいかに難しいかわかるだろうか。彼らは自分にとって得にならない事は嘘かごまかしで通すのである。日本人と同じに考えてはいけない。彼らは私達の思想とははるかに違う思想、文化にいる。バカ正直な日本人は、今まさに食い物にされているのだ。
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彼らは「潔く受け入れよう」なんて考えない。恥だとも思わない。
一般的な韓国人は、「とりあえず駄々をこねれば何とかなる」と考える。
泣く子は餅を多くもらえる、という朝鮮の諺がある。
「ごねて相手の情 に訴えかければ、その分利益が増える」と言う意味。
麗水 ごり押し時には必要
http://
二〇〇五年の愛・地球博(愛知万博)と一〇年の上海万博に毎日通った愛知県瀬戸市の主婦山田外美代(とみよ)さん(63)に、韓国南部の麗水(ヨス)市で開催中の万博で会った。
五月の開幕以降、やはり「皆勤」を続ける彼女が嘆いた。「パビリオンの入場待ちで子どもは列に並んでいるのに、おばちゃんたちが横入りしていくのよ…。愛知、上海はこうじゃなかった」 確かに、韓国は一面で、
正直者がばかを見る理不尽な社会だ。私も麗水で実感した。
夜九時まで入れると聞いたパビリオン。八時半に着くと「もう掃除を始めた」と入場を断られた。「事前に確認したのに」と食い下がると、職員は「じゃあ、私の後ろについて入ってください」と笑顔に変わった。
昼に入った会場内のレストラン。麗水は日本でも夏が旬の「ハモ」で有名だ。メニューの湯引きを頼むと「売り切れです」。前日もそう言われた。「隣席の人は食べているし、二日続けて売り切れなんて」と粘ると、「用意します」ときた。
よく言えば融通がきく社会。悪く言えば、ごね得、ごり押し文化。
赴任した一年前、韓国滞在の長い日本人の知人がずぶとく見えた。最近は私も「こちらの本気度が試されている」と好意的に解釈し、時にはずうずうしくトライするようにしている。
駄々をこねれば何とかなる…韓国社会に根付く誤った認識(朝鮮日報)
http://
今月27日に起きた麗水世界博覧会(麗水エキスポ)でのパビリオンの予約制中止騒動
(来場客が殺到し、パビリオンに入場できない客が激しく抗議したため、事前予約制による入場を急きょ先着順入場に変更) をめぐっては
「とりあえず駄々をこねれば何とかなる」という、 韓国社会に根付いている誤った認識が露呈した現象
だとの指摘が相次いでいる。
延世大社会学科のリュ・ソクチュン教授は
「補償を受けたいという心理の強い少数集団の利己主義と、 責任意識の薄い指導層が妥協することが、 韓国の先進化においていかに大きな足かせになるかを示す、端的な現象」と指摘した。
新京義線の開業遅延も同様のケースだ。韓国鉄道施設公団によると、 今年末に開通予定だった新京義線は、2年先送りされた。 その最大の理由は、新京義線の主要駅となる「孝昌駅」の建設が、 駅舎建設予定地に居住する29世帯の住民の反対により遅れているからだ。
公団側は住民が反対している理由について、補償金の問題だとみている。 わずか29世帯の反対によって鉄道建設が遅れ、駅舎建設に待ったが掛かっているというわけだ。
昨年12月にはソウル市蘆原区の下渓駅で、中渓駅方面に向かっていた地下鉄7号線が、乗客1人の抗議によって停止した。 ある乗客が、車内の非常電話で「(前の駅で)出口が開かず降りられなかった。責任を取れ」と声を荒げて抗議したからだ。
困惑した機関士は電車を逆走させた。調査の結果、下渓駅で電車の乗降口は正常に開閉していたことが確認された。
乗客1人の非常識な行動によって、数百人もの乗客の命を預かっている機関士は、電車を逆走させてしまったのだ。
ホテル、地下鉄に続き、飛行機を占拠して騒動を起こしたケースもある。 2010年10月には、ベトナム・ホーチミン発の旅客機に乗っていた乗客2人が、到着が2時間遅れたことに腹を立て、 ほかの乗客約30人を扇動して2時間にわたり空港の入国ロビーを占拠して立てこもった。後にこの乗客2人は警察に立件された。
少数派の頑固な反対運動や訴訟の前には、大規模な国策事業もなすすべがない。 トンネル工事によってチョウセンサンショウウオの生息地が奪われるとして、 市民団体による訴訟にまで発展した「千聖山サンショウウオ訴訟」は、その代表的なケースだ。 一部の市民団体が「サンショウウオを救え」と主張したためにトンネル工事が何度も遅延し、 2兆5000億ウォン(現在のレートで約1700億円、以下同じ)=大韓商工会議所の推計=もの莫大(ばくだい)な経済的損失が発生した。
朝鮮には、成功した人物の親族が寄ってたかって金を無心しにきて、それがさも当然という風習がある。
上の者は恩情の名のもとに下のものを集めて食わせ、
下の者はこの恩情がなければ、じらしのサボタージュで対抗する。
そして上は恫喝し、下はたかるという構造になっている。
そういうのに慣れてる民族なので、厳しく恫喝するのが正しい対処。
※一見乱暴に見える在特会のやりとりは、彼らの対処として間違ってない。民族や思想により対処方法は変わるのだ。
『朝鮮民族を読み解く』
http://
つぎに彼が取りかかったのは、働かずにふんぞりかえっている工場の上層部の排除であった。
社員を集め、このままでは諸君も私も共倒れになる、それでいいのかと恫喝をくりかえした。
この過程で、これではたちいかぬと積極的に発言したものを集め、とにかく飯を食わせた。
特待の恩恵をほどこし、共同会食の一体感をもたせたのである。
下賜と寄食の伝統をプラスに転じ、恩情を強調した。
このようにして同志を増やし、工場上層部の外堀、内堀を次々と埋めていった。
そしてこの過程を上司に報告し、許可を得ると、彼は上層部の飛ばしを断行したのである。以来経営は正常化し、着実に生産、販売は向上しているという。
さて、ここで問題なのは、この伝統が労働者側のサボタージュと容易に結びつくことであり、雇用者側の果てしない共同会食の浪費につながるということである。
両班家の下人たちは、結納のつづらを担ぎ、じらし、そしてたかった。それが喜ばしい民俗の儀式として人々の笑いを誘いつづける限り、この伝統が彼らによって完全に敵視されるに至ることは、なかなか難しいと言わざるを得ないだろう。
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『アリラン峠の旅人たち』
http://
霊柩が埋葬地へ向かう途中、先へ進むのが困難な険しい道や小川などにでくわすと、行列は足踏みをする。するとすかさず親類縁者が歩み寄って、霊柩の前部に張られた縄に金をさしこみ、腰を低くしてさっさと行くよう機嫌をとる。
金の集まり具合を見計らったうえで霊柩輿はふたたび動き出す。
「なあにそれも、小金をせびる風習で遊びだあね。喪儀に雇われたからといってさっさと片付けちまうのも気が咎めるもんで、駄々をこねて長びかせる。すると縄に穴の開いた金を通してくれるんだあ。その金を集めて酒を食らったり、博打を打ったりするのよ。けんどそんな風習もいまじゃ随分とすたれちまってな」崔老人の解説である。P234
________________________________
『朝鮮事情』ダレ
http://
これらの者は、人びとの歓待をあてにして、全く仕事をしないで、あちこちをぶらぶらしながら生活する。もっとも図々しい者になると、豊かな人や余裕のある人の家にまるまる数週間も身を落ち着け、服までも作ってもらう。人びとは、後で彼らから悪態をつかれたり中傷されることを恐れて、拒むことができない。P265
両班が首尾よくなんらかの官職に就くことができると、彼はすべての親戚縁者、最も遠縁の者にさえ扶養義務を負う。彼が守令になったというだけで、この国の普遍的な風俗習慣によって、彼は一族全体を扶養する義務を負う。もし、これに十分な誠意を示さなければ、貪欲な者たちは、みずから金銭を得るためにさまざまな手段を使う。
ほとんどの場合、守令の留守のあいだに、彼の部下である徴税官にいくばくかの金を要求する。もちろん、徴税官は、金庫には一文の金もないと主張する。すると、彼を脅迫し、手足を縛り手首を天井につり下げて厳しい拷問にかけ、ついには要求の金額をもぎ取る。
のちに守令がこの事件を知っても、略奪行為に目をつむるだけである。官職に就く前は、彼自身もおそらく同様のことをしたであろうし、また、今の地位を失えば、自分もそのようにするはずだからである。
官職が、両班にとって唯一の名誉ある職であり、またしばしば生きるうえで唯一の手段であるため、おのずから、多くのへつらい者、寄食者、請願者、不運な志願者や猟官者たちの群れが、昼となく夜となく、大臣な人事権をもつその他の大官の舎廊房(書斎兼応接間)にあふれるということは、安易に理解できるであろう。この飢えた乞食の群れは、大臣たちの感情をくすぐってその驕慢心を満足させ、卑劣な人間のみがなし得るあらゆる術策、あらゆるへつらい、あらゆる甘言、あらゆる手管をいつも何のためらいもなく行ない、粘り強く喰い下がっては、多少の成功を得るのである。P195~
________________________________
『朝鮮旅行記』 ゲ・デ・チャガイ編
http://
朝鮮では親族関係がとても強靭で、非常に遠い親縁関係にある家族ですら、全てが常に支援と庇護を互いに供与しあっている。
相互扶助は、未払いの負債や税金を杜撰な債務者の近親者に請求するところまで立ちいたり、あたかも相互保障にすら変貌してしまったかの観があるが、朝鮮ではかかる手順が頗る自然で、正義にも適うものと認められている。 (p. 309)
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『朝鮮紀行』イザベラバード
http://
朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。
ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を
扶養しなければならない。
それもあって人々はわれがちに官職に就こうとし、職位は商品として売買される。居候をおおぜいかかえている男にとって、そこから逃げだすひとつの道は官吏になることなのである。
下級にせよ上級にせよ官吏になれば、公金で居候たちを養っていける。であるから官職がどんどん新設される。目的は、国を治める者たちの親戚や知り合いを食わせるため、にほかならない。だからこそ朝鮮では政治の内紛や暴動が頻繁に起きるのである。おおもとはほとんど揺るがない。朝鮮の革命家は信念を支えに命をかけようとはしないのである。
いまこの瞬間にもソウルでは、何百人もの強壮で並の知力のある男が、たばこ銭にいたるまでの生活費をすべて身内または知り合いの高級官僚に頼り、日に三度ごはんを食べ、雑談にふけり、よからぬことを企んでいる。
自立の誇らしい気分は無縁のものなのである。こういった居候たちを除去したほうがいいとなると、あるいはもはや養っていけないとなると、官職をつくったり探してきたりしてあてがう。したがって行政府の雇用はこういった盗っ人階級の「独壇場」同然である。
何年も前から朝鮮の品位を落としてきた党派争いによる政変は、政治理念の闘争などではさらさらなく、官職と金銭を自由に采配できる地位の争奪戦にほかならない。政府高官がそれぞれ猜疑心がつよく協力し合わないのも、ひとつには国王に対してほかの同僚よりもつよい影響力をもち、自分の親戚や知り合いを登用させたいという欲望が各大臣にあるからである。
朝鮮語辞典の編者によれば、朝鮮語の「仕事」ということばは「損失」「悪魔」「不運」と同義だといい、また怠惰な生活を送れるのは貴族の一員であるあかしなのである。官吏は生活が立ちゆかなくなるからこそ、居候を職に就かせようとする。このような居候は職に就いてもたいがいの場合なにもせず、できるかぎりのところから「搾取」しまくるのがせいぜいときている!
これまでわたしは最終的に食いものにされるのは農民層だといやになるほど繰り返してきた。農民はほかのどの階層よりも懸命に働いている。いくぶん原始的であるとはいえ土壌と気候によくマッチした手法を使っており、土地の生産性を楽に倍増できるはずなのである。
ところが働いた分だけの収入を確実に得られるあてがまったくないため、農民たちは家族に着せて食べさせられるだけの作物をつくって満足し、いい家を建てたり身なりをよくしたりすることには恐怖をいだいている。
無数の農家が地方行政官や両班から税を強制取り立てされたり借金を押し付けられたりして年々耕作面積が減り、いまや一日三度の食事をまかなえる分しか栽培していない。搾り取られるのが明々白々の運命である階層が、無関心、無気力、無感動の底に沈み込んでしまうのはむりからぬことである。
改革があったにもかかわらず、朝鮮には階級がふたつしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人は文字どおり「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。(p465まで)
連行されたと言う母に、息子が戸惑いながら違うでしょと咎める動画。彼らの世界では嘘は普通で、その嘘の世界に入り込んで話しをする。二転三転しても気にならない。加害者が被害者になるだけで、お金や地位までもらえるのだ。恩などはない。自分の得のみを優先して動く。彼らと接する事がいかに難しいかわかるだろうか。彼らは自分にとって得にならない事は嘘かごまかしで通すのである。日本人と同じに考えてはいけない。彼らは私達の思想とははるかに違う思想、文化にいる。バカ正直な日本人は、今まさに食い物にされているのだ。