ある日本人記者がカリフォルニアのモスクを取材した。
信者にいくつか質問すると逆に記者の宗教観をただしてきたそうだ。
「あなたは神を信じるか」
「そういう議論はあまりしたくないが、あなたが神を信じているということは尊重する」
「われわれはムハンマドの他に預言者はいない、と信じている。それは妥当だと考えるか」
「あなたがそう信じていることはもちろん尊重する」
「ということは、あなたもすでにイスラム教徒ということだ」
(この文章は意訳されているかもしれない)
…彼らに譲歩や歩み寄りや相互理解というのはない。
日本人がいくら異なる国の人々に、関心を持ち理解をして受け入れようとしても、
相手は一方的に己の価値観を押し付けてくるだけ。
現実の価値観は、違いだけではなく力の差もある。
力のある価値観が弱い価値観を淘汰するのだ。
「国際化、多文化共生社会」「共通の価値観を共有できる地球市民」
「いつか世界から国という単位はなくなる」「世界統一国家ができる」という予測をよく聞く。
しかし、人類の歴史と今世界で実際に起きていることを客観的に観れば、
そんな希望的観測は殆ど実現しないことがわかる。
EUでも覇権争いは絶えることがありません。
ドイツ・オーストリアはローマ復活による支配権の確立を狙っている。
フランスは南北ドイツが連邦の無意味さを感じて連邦解消するのを狙っている。
ベネルクスは存在意義が薄れると困るので経済・行政の中心地を狙っている 。
イタリア・スペインは腐った通貨を捨てる良い機会と考えている。
英国は経済取引が簡単になる事を狙っている。
北方3カ国はお手並み拝見中(美味しい所をさらう考えでいる)
あれほどまでに経済格差や国民意識に違いがある国の政府を統合するなど、数十年単位のスパンが必要でしょう。
また、スリランカの民族紛争は25年続いたし、
ベルギーのラテンとゲルマンの民族対立はローマ帝国の時代より1500年続いている。
ナイジェリアでイスラム教徒とキリスト教徒の衝突死者500人という事件もニュースになった。
ネットが普及しようが経済的にボーダレスになろうが、
混ざり合って価値観が似通ってくるなんて事はありえない。
厳然として民族紛争・宗教紛争・隣接する国家間の衝突や不仲が多いのが現状だ。
人種等の観念が薄れる気配も、国境がなくなる気配も、世界のどこにもない。
逆に世界は「カオス化」する。
ますます複雑化した先の見えない場になっていくだろう。
ますます民族紛争は多くなり混迷を極め、宗教や民族の違いから対立する。
地球市民を名乗る人は、中国人に「中華思想を無くしましょう。人間は平等。チベット人の価値観を認めましょう」と説得できると思っているのだろうか?
シーア派、スンニ派双方に理解しあおうと説得できるか?
パレスチナに行って、自爆テロを止めろと説得できるか?
テロリストは、「神のもとへ行けるから戦争になってほしい」と願っているし、「異教徒は人間ではないから殺してもかまわない」と考えている。
個人の自由や平等、国家の合理性や近代性を規範とする主要諸国側の文明社会の基本を破壊して、独自の狂信的な宗教支配を世界に広げようとしている。
そもそもそんな人達と近所で安心して暮らせるだろうか?
やはり一定のライン(国境)を引いて住み分けすることは必要なのだ。
民族ごとに境界線を引いて棲み分け、
定的に交流した方が最も理想的、現実的な多文化多民族共生方法なのだ。
トルコ南東部では、部族間の対立で44人も犠牲になった。
まだ村同士の対決すらなくならないのに、国境を無くせば平和になるなんてありえない。
人間は、同じ価値観を持つ、似た者同士で集まろうとする性質がある。
例えば、2000年前に国を喪失したイスラエルが新しく国家樹立にいたった原因は、ユダヤ人が長年の差別を経験してきたことで「自分達を守る、自分達の国家を作ろう!」と考えたからだ。
人は近い生活スタイル、近い価値観の人間同士が集まって暮らした方が 暮らしやすいし、安心するものだ。
それに、異なるスタイルの人々があまり入り混じって暮らすのは 効率も悪い。一般的な日本の会社で「私は正月休みなんか要らないから、ラマダンを休みにして欲しい。」 とか言われても困ってしまうだろう。
同じ民族や宗教や価値観を持つ同士で囲って国を作ろうとするし、 こういった動きは人間が人間である限り無くならない。
また、日本の藩の消滅と国家の消滅は同じではない。
明治維新後の政府が「日本民族」を強調したのは、それまで藩の集合体という性格が強かった日本を一刻も早く一つの国家としてまとめ、富国強兵と文明開化を実現されるため。
藩が中央集権政府の誕生と同時にその役割を終えることができたのは、大きな意味での同一の文化という価値観を共有していたからだ。
国の定義を考えた時、司法(裁判)、立法(法律)、行政(徴税、福祉)の単位だと思う。
これが完全に一致でき、かつ行き届く単位でないと一つになれない。
特に法律に関しては、宗教や文化が大きく影響するためすぐに一つにということにはならない。
ごく一部の日本人が期待している東アジア共同体は、おそらく成立しないか、成立してもEUのような組織にはなれない。
なぜなら、政治・経済体制が一致しないし、価値観も全く違うから。
それに、中国人の中華思想や韓国人の民族意識は、日本人が想像するよりずっと強烈。
北京の人間は上海の人間を下に見る、 上海の人間は香港の人間を下に見る、香港の人間は福建の人間を蔑視する…。
同じ中国人同士でさえ中華思想でランク付けされてて所詮化外の地である日本や朝鮮半島東南アジア各国の人間なんて中国人からすれば所詮は蛮族 でしかない。
反日教育で洗脳された中国韓国がどれだけ日本人を忌み嫌っていることか。
また、歴史問題や領土問題の解決も難しい。
中国における「話し合いの解決」というのは強者が弱者に一方的に主張を認めさせること。 または策略と騙し合いだ。
日本人がいくら相手の価値観を認めようが、対等に仲良くしたくても、相手はそうは考えない。一方的に服従、同化を求められるだけ。
おそらく中国が力で他の国を吸収併合する形でしかない。
世界政府や地球市民ができるとすれば、一つの又はごく少数の国家の世界制服にほかならず、共存・共栄どころか、強者による征服・同化にほかならない。
それに対抗する手段として国家があるのだ。
周囲各国が当たり前のように軍隊を持ち、金も、領土も、技術も、権力も、資源も、歴史までも欲しがる中、
日本だけが軍隊もなくすのは賢明な選択だろうか?
とんでもない!それは泥棒がいるのに鍵をかけない家と一緒で無謀すぎる。
防犯システムのある家をわざわざ選んで入る強盗などいない 。
「みんな仲良く」という上辺の言葉や「国境を越えた自由な経済活動」という誘惑に騙されてはいけない。
中国が推進する「東アジア共同体論」にはアメリカを排除しようという外交戦略があるのだから。
それより、何から何まで異質なあの13億の中国人が自由に日本へ入れるようになるなんて、想像するだけでゾッとする。
人種の文化の違いは 超えることができない。 それなりの垣根が必要。
それぞれの価値観や違いを認めあって共存、共栄するためには、ある程度の距離を置く必要がある。
そのために国境は欠かせない。
国家とは私達が生きていく為の究極の拠り所なのだ。
そして国家が私達を守ってくれる様に私達もまた国家を守る義務がある。
もし国家を否定するなら国家に変わる私達の生命と財産を守る存在を提示して貰いたいものだ。
それなのに日本人には、国家観もない、国防意識もない、民族意識もない…。
周囲の国はそれが強烈なのに、日本にだけ無い。
これでは 中国の李鵬元首相の言うように併呑されるしかない。
↑ 世界中が移民を規制する流れになってきてるのに日本は大量に移民を受け入れるだと??
↑ 政治家もこんなことを言ってる。こりゃ乗っ取られるのも時間の問題だ。
↑ 中華圏に呑まれて「日本自治区」となり「和族」という少数民族としてチベットみたいに弾圧されるだろう。
その時の言い訳は反日教育ですでに準備されている。
日本人をこうしても日本が悪い事をしたと思わせて解決させる。
これは既に日本国民に広がってる自虐史観のせいで蔓延している。
↑ 和族が人権と自由を求めたら捕まってこんな拷問だよ…(ノ_・。)
国際社会の本音はウィンウィンではなく、ゼロサムなのだ。
日本国民は正しい危機感を持ち、いつまでも、アメリカに助けてもらえるかのようなぬるま湯感と言うか、お花畑から脱却しないと、誇りない国際的孤立を招く。
諸外国から経済的に的にされ、外交的に翻弄され、国民を拉致され、領土、領海を狙われ、これでもまだ、現行憲法を盲信する事により、現実逃避をすると近い未来、日本は必ず無くなる。
もし日本が戦争になったら、自分だけ一目散に他国へ逃げれば良いと考えるかもしれない。
そう考える事ができるのは、国を失った人が難民として生きるのはどれだけ大変なのか知らないからだ。
民族の根幹をなくした人々は根無し草になる。
ジプシーやイスラエル、パレスチナ、インディアン、国を失った人々。
民族の拠点をなくした人々は辛い。
国家がなくなってしまえばお得意の人権論を唱えたところで、
それは全くの無力なのだ。力なき正義は無力なのと同じように。
平和で秩序ある独立した国家の存在が、人権の確保、保障には不可欠なのだ。
ピースボートの創設者、辻元清美
彼女は「国会議員って言うのは、国民の生命と財産を守るといわれてるけど、私はそんなつもりでなってへん。私は国家の枠をいかに崩壊させるかっていう役割の国壊議員や」と発言した。
そして「日本人になりたくない。地球人になりたい」と言う。
だが、他の国に行って「私は地球市民です」と名乗っても通じないだろう。
国籍はどこかと聞かれるし、その属性や偏見から逃れることはできない。
国というのは国土と国民と主権で成り立っていて、世界の基本単位とも言える。
人類の住み分けの単位は国家だ。
彼ら地球市民は、その国家意識が抜けているからおかしな方向に話が行くわけだ。
その日本という信用高いパスポートを持っているからこそ他国へ行っても必要な保護幇助を与えられるし、旅行ができる。
国家は国民の生命と財産を守るのが役目だ。
国防こそが最大の福祉なのである。
国家に危険が生じたら、その国家に所属する国民全員が不幸になるのだから。
辻元含む彼らは無政府状態を求めているのか、それとも占領統治に戻りたいのだろうか?
無政府状態とは「北斗の拳」みたいな世界。そんな中で生きていくのは大変だ。
私達は国家があればこそ毎日を平穏に暮らしていく事が出来るんだから。
「黙って殺されちゃえばいい」
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34294166.html
後半の「台湾から見た日本および日本人
争いを避けたがる日本人に平和は守れない 」が必読です。
アフガニスタンの民度
http://kanryuudaisuki.ldblog.jp/archives/34294562.html
アメリカと日本はここへ穀物の種を運び、植え方を教えようとしたら殺された。