性の自由と開放を謳う性教協という団体があってですね。
その先生方は純潔や道徳を軽視した授業を行っているんです。良く言えば革新的な。
その授業を受けた小学5年の生徒の感想文を覗いてみましょう。
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○(略)私は性交は、子どもを産むときしかしないのかと思ってた。「人は一生ふれあいつづける」なんかいいなぁ「ふれあい」って。ずっとふれあいたいね~。特定から多くの人と、そして、また特定の人へ。老人になったらどんなふれあいをするのかなぁ?孫や近くの人とおしゃべりするのかなあ。「ふれあい」って楽しい。いつも「ふれあい」つづけてるんだね、「人」って。
○(略)ビッシーの授業では、性交のことで「何才から性交していいと思う?」って聞かれて、私は「何才でもいい。頭にスイッチがポンと入れば、年齢は関係なくていいと思う。それにみんなの自由じゃないかな」と思います。(略)
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この学年は児童108人に対し、担任が3人いる。3クラスなのであろう。堀江岳人教諭はフォーリー、四海智奈美教諭はチャーミー、山根三千枝教諭はビッシーと呼ばれている。児童とこれら3人の教師達は「お互いの人格を認め合った上で、互い次のステップを確かに指摘し要求し合える厳しくも温かい集団」を創りあげていったのだそうだ。具体的にどのようなことが良く分からないが、この学年の児童は三人の担任を「プライベートな場」ではフォーリー、チャーミー、ビッシーと呼び合い、「パブリック」な学年集会等の場面では、「先生」ではなく、「四海さん」などと呼んでいる。総合学習では、平和活動を中心に様々な切り口で「豊かさ」を追求しているそうで、性の学習もその流れの中に位置づけられているとのこと。
小学校ではめずらしく教科担任制を一部導入しており、この学年の一連の性教育は、三人が各単元を分担しながら行われた。
まず、太古の海の中から魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類等さまざまな生き物の「生命をつなげるための営み」を説明し、「ヒトが生命を生み出す最も安全な方法が性交であることをとらえさせる」。ここで、体外受精と体内受精を扱う。
受精のしくみとして、着床から胎児の成長と出産の様子を知らせる。次に、女性性器、男性性器の構造や働きを中心に、それぞれの身体の発達として月経、射精などを扱う。このあたりは、「性の主体者」にチェンジする第二の誕生なんだそうだ。「性の主体者」とは、性交ができる者という意味らしい。そして、ここで、自分の体や心の発達を「肯定的」に捉えられるようにすると言う。月経、射精がある身体になった、性交ができる、「性の主体者」になった、この身体の変化を「肯定的」に捉えよう、スイッチポン、と言うわけだ。
そして、いよいよ、「とっておきのふれあい」を扱う。単元名「ふれあって生きる-とっておきのふれあい-」ここで言う「ふれあい」とは、人同士のコミュニケーションを指し、母親の新生児への授乳から性交まで、ひっくるめて「ふれあい」として児童に教えている。性教協の教師たちの書く指導案の多くは、赤ん坊への授乳や抱擁など、すべての皮膚接触は性交へ通ずる道であるかの如き印象を与える。
「ふれあい」からは、3人の担任が一つの教室に入って授業をする。「ふれあいセンサーとしての皮膚」と題された指導案がこの報告に掲載されている。「人と人とのふれあいは感覚器官である皮膚が、大きな役割を果たしていることを知る」のがねらいである。教師達は痛点や冷点等の説明を導入として、「皮膚はどこも同じように感じるのだろうか、調べてみよう?」と児童を方向づけ、「同時空間閾値」なるグラフを提示する。この「同時空間閾値」とは何か知らないが、身体のどの部分の皮膚が敏感か、の目安らしい。
「ふれあい」の指導案はもうひとつ掲載されている。ここでも最初、フォーリー氏が皮膚、皮膚と、皮膚の重要性を強調する。「二点刺激実験」等の話の後、ふれあいの始まりは胎児から、などの説明があり、チャーミー氏が、あなたたちはいつも抱かれて、撫でられていたんだね、今、親だけじゃなくて友達とも触れ合っているね、家族とはどんなふれあいをしているのかな、という感じで続け、さらに、それじゃあ、大人はどうだろう?、TVや映画の中ではどうかな、大人もふれあう、デートする、見つめ合う、キス、手をつなく、だきあう…と性交へと水を向ける。
やがてビッシー氏が出てきて、「三人の子どもがいる人は三回性交したか?」にはどう答える?と問いかけ、「人の性交はほとんどふれあいの性交」「性交は愛し合った大人の人の、もっとも深い心と体のふれあいであり、人の心をとても幸せにしたり、喜びを分かち合う、とっておきのふれあい」と、まるで性交賛歌を歌っているようである。ビッシーのところで、避妊やコンドームも扱い、「性は生(一人ひとりの課題、すてきな性と生を生きる大人になろう)」と激励している。
そうか、そうだったのか。これでは日本の中学生の性交経験率がアップするのも当然だ。教師達が小学生や中学生に性交をするよう、
方向づけているではないか。本来学校とは何を教えるところか、多くの人達が忘れかけているのではないだろうか。
それにしても、「性交は愛し合った大人の…とっておきのふれあい」こんなこと、子供相手によく言えるものである。
以下のサイトより転載しました。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarin218.html
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マスコミと教育界が左傾化した理由
工事中
教師の性犯罪率が高い理由
工事中
「制服の強制は人権侵害だ」
工事中
「教育委員会に言うからな!」が脅し文句 「モンスターチルドレン」が出現
工事中
過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査の現状
工事中
その先生方は純潔や道徳を軽視した授業を行っているんです。良く言えば革新的な。
その授業を受けた小学5年の生徒の感想文を覗いてみましょう。
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○(略)私は性交は、子どもを産むときしかしないのかと思ってた。「人は一生ふれあいつづける」なんかいいなぁ「ふれあい」って。ずっとふれあいたいね~。特定から多くの人と、そして、また特定の人へ。老人になったらどんなふれあいをするのかなぁ?孫や近くの人とおしゃべりするのかなあ。「ふれあい」って楽しい。いつも「ふれあい」つづけてるんだね、「人」って。
○(略)ビッシーの授業では、性交のことで「何才から性交していいと思う?」って聞かれて、私は「何才でもいい。頭にスイッチがポンと入れば、年齢は関係なくていいと思う。それにみんなの自由じゃないかな」と思います。(略)
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この学年は児童108人に対し、担任が3人いる。3クラスなのであろう。堀江岳人教諭はフォーリー、四海智奈美教諭はチャーミー、山根三千枝教諭はビッシーと呼ばれている。児童とこれら3人の教師達は「お互いの人格を認め合った上で、互い次のステップを確かに指摘し要求し合える厳しくも温かい集団」を創りあげていったのだそうだ。具体的にどのようなことが良く分からないが、この学年の児童は三人の担任を「プライベートな場」ではフォーリー、チャーミー、ビッシーと呼び合い、「パブリック」な学年集会等の場面では、「先生」ではなく、「四海さん」などと呼んでいる。総合学習では、平和活動を中心に様々な切り口で「豊かさ」を追求しているそうで、性の学習もその流れの中に位置づけられているとのこと。
小学校ではめずらしく教科担任制を一部導入しており、この学年の一連の性教育は、三人が各単元を分担しながら行われた。
まず、太古の海の中から魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類等さまざまな生き物の「生命をつなげるための営み」を説明し、「ヒトが生命を生み出す最も安全な方法が性交であることをとらえさせる」。ここで、体外受精と体内受精を扱う。
受精のしくみとして、着床から胎児の成長と出産の様子を知らせる。次に、女性性器、男性性器の構造や働きを中心に、それぞれの身体の発達として月経、射精などを扱う。このあたりは、「性の主体者」にチェンジする第二の誕生なんだそうだ。「性の主体者」とは、性交ができる者という意味らしい。そして、ここで、自分の体や心の発達を「肯定的」に捉えられるようにすると言う。月経、射精がある身体になった、性交ができる、「性の主体者」になった、この身体の変化を「肯定的」に捉えよう、スイッチポン、と言うわけだ。
そして、いよいよ、「とっておきのふれあい」を扱う。単元名「ふれあって生きる-とっておきのふれあい-」ここで言う「ふれあい」とは、人同士のコミュニケーションを指し、母親の新生児への授乳から性交まで、ひっくるめて「ふれあい」として児童に教えている。性教協の教師たちの書く指導案の多くは、赤ん坊への授乳や抱擁など、すべての皮膚接触は性交へ通ずる道であるかの如き印象を与える。
「ふれあい」からは、3人の担任が一つの教室に入って授業をする。「ふれあいセンサーとしての皮膚」と題された指導案がこの報告に掲載されている。「人と人とのふれあいは感覚器官である皮膚が、大きな役割を果たしていることを知る」のがねらいである。教師達は痛点や冷点等の説明を導入として、「皮膚はどこも同じように感じるのだろうか、調べてみよう?」と児童を方向づけ、「同時空間閾値」なるグラフを提示する。この「同時空間閾値」とは何か知らないが、身体のどの部分の皮膚が敏感か、の目安らしい。
「ふれあい」の指導案はもうひとつ掲載されている。ここでも最初、フォーリー氏が皮膚、皮膚と、皮膚の重要性を強調する。「二点刺激実験」等の話の後、ふれあいの始まりは胎児から、などの説明があり、チャーミー氏が、あなたたちはいつも抱かれて、撫でられていたんだね、今、親だけじゃなくて友達とも触れ合っているね、家族とはどんなふれあいをしているのかな、という感じで続け、さらに、それじゃあ、大人はどうだろう?、TVや映画の中ではどうかな、大人もふれあう、デートする、見つめ合う、キス、手をつなく、だきあう…と性交へと水を向ける。
やがてビッシー氏が出てきて、「三人の子どもがいる人は三回性交したか?」にはどう答える?と問いかけ、「人の性交はほとんどふれあいの性交」「性交は愛し合った大人の人の、もっとも深い心と体のふれあいであり、人の心をとても幸せにしたり、喜びを分かち合う、とっておきのふれあい」と、まるで性交賛歌を歌っているようである。ビッシーのところで、避妊やコンドームも扱い、「性は生(一人ひとりの課題、すてきな性と生を生きる大人になろう)」と激励している。
そうか、そうだったのか。これでは日本の中学生の性交経験率がアップするのも当然だ。教師達が小学生や中学生に性交をするよう、
方向づけているではないか。本来学校とは何を教えるところか、多くの人達が忘れかけているのではないだろうか。
それにしても、「性交は愛し合った大人の…とっておきのふれあい」こんなこと、子供相手によく言えるものである。
以下のサイトより転載しました。
http://
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マスコミと教育界が左傾化した理由
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教師の性犯罪率が高い理由
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「制服の強制は人権侵害だ」
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